04.01.30 朴訥(ぼくとつ)
 朴訥・かざりけがなく、口数がすくないこと。無骨で正直なこと。

 社家に住む叔父は朴訥な人だった。自治会長も務めた人だったが、いつも口
数少なく嘘がきらいで不器用な人であった。

 県議選に出ると言った私に
「俺は木内(現職県議)さんの(後援会)支部長をやった男だ、4年前にはみん
なに木内を頼むと言って歩いたんだ。それが今度は長田が親戚だからって手の
ひら返すわけにゃいかねえんだよ。」
 と、いかにも朴訥な叔父らしい一言で私を叱ったものだ。
 でも選挙の終盤、社家コミセンで行なった演説会では、心配そうな顔をしな
がら補聴器を耳に充てて私の拙い話に相づちを打つ叔父の姿が会場の一番うし
ろにあった。

 叔父、金子成一氏の死を悼み、心よりご冥福を祈ります。「叔父さん、こん
な世の中だからでしょうか?俺が、軽薄な男だからでしょうか? 叔父さんの
ような不器用な生き方ってのが、すごく、魅力的に見えるんです。」
     
 04.01.29 前期試験
 我が家のだんらんのひととき、小学校一年生の息子が「明日の二時間目、性
教育なんだ!」・・・・・・・一同反応できず!

 中学校三年生の子を持つ親にとっては大変な季節がきている。今高校入試で
は前期と後期の試験がある。26日にその前期試験が県下一斉に行なわれた。前
期試験とはこれまでの偏差値主義の選抜方法を排し、子どもが自ら望む学校へ
行き、自分の才能ややる気、部活の実績や特技などをアピールすることによっ
て合否が決まる制度。これによって合格する子どもの割合は少ないのだが、可
能性を求めて7、8割の子どもがチャレンジするそうだ。しかし、一方では自分
を表現するのが苦手な子もいる。まじめで才能にあふれた子でもそれをアピー
ルすることが不得手な子にとっては不利な制度でもある。中学校では校長先生
を面接官に仕立てて面接の特訓をしたりしているそうだが、「時間の無駄。」
とあきらめて後期の学力試験に絞る生徒もまた多い。

 教育の現場は様変わりしてきていると感じる。更に県知事松沢氏の選挙公約
によれば来年からは県下の高校学区が撤廃される。「基本的に良い方向」と私
は考えているが「どうなってしまうのか!?」と制度の狭間で揺れる子どもた
ちや親の心境は不安であろう。何しろこの子たちの親世代は「十五の春を泣か
せない。」と、全ての受験生を余すことなく高校に入れ込もうというベルトコ
ンベアー施策に乗ってきた世代なのだから。

 教育の現場は様変わりしてきていると感じる。更に海老名市長の内野氏の選
挙公約では小中学校の学区を撤廃すると言う。基本的に良い方向と私は考えて
いるが先日の臨時議会でこのことに賛意を示した会派は無かった。
 学区撤廃=学校間の競争=学校の魅力UP というのは理想の方程式だが、
いざ現実にということになると問題はあまりにも多い。

 性教育を受けてきた我が子は、あかちゃんが生まれるプロセスを一生懸命に
説明してくれた。
     
 04.01.27 女々しい
 学歴を詐称して代議士になった男の画が毎日テレビに映るけど、女々しいツ
ラしてるなぁ。まだふてぶてしい方がまだマシだよこんなとき。国会ほっぽり
出してアメリカ行かなくても自分が一番判ってるだろうに・・・おいおい泣く
なよ。え?議員は辞めない?でも給料はいらない?そりゃ無いでしょ。

 俺も学校の卒業証書どこに有ったかなぁ?実家か?ちゃんと探しとかなきゃ!
     
 04.01.26 痴呆棟にて
 ホームヘルパー二級資格を取得するために昨年11月から学校に通ってきまし
たが、今日はいよいよ最後の実習となりました。

 私が派遣されたのは県央のとあるまちの老健施設。その中の痴呆老人ばかり
が50名ほど生活しておられる施設。今日は二日目でした。

 私はたぶん、介護という仕事には向かない人間だと実感するための実習だっ
たかもしれません。
 50名の痴呆老人に囲まれて、コミュニケーションをとります。会話は得意で
すよ、私もこういう人間ですから、まったくかみ合わない会話も、何度も同じ
話の繰り返しも、泣かれても、プリンを投げつけられても、それはそれなりに
如才なく過ごします。
 排便のお手伝いもにこやかにこなします。
 お風呂の介助では「力がある。」と喜ばれ、シーツの交換なんて角を三角に
折ってみごとなものです。私。

 しかし、この仕事「やらなければ!」みたいな使命感とか、「やるべきだ」
といった義務感、あるいは正義感とか奉仕、そんな考えで入っていっても長続
きはしないと感じました。私もまさにそういうタイプで表面的にはしっかりと
体裁を繕うし内面も肩肘はって気張っています。しかしそれはいつまでも続か
ない。やはり福祉のできる人は根本的に「人をお世話することが好き!」な人
でないとできない。ということが今日の実感です。知識にも努力にも勝る「好
き!」という感情がもっともっとないと、、、できない仕事。あぁその逆でビ
ジネスライクに「お金のため」っていう割りきった考え方もあるんだろうけど。

「長田上等兵、お茶を・・・下さい。」(大東亜戦争に参加したおじいちゃん)
「私はいつここから帰れるんかねぇ・・・・・良くしてもろぅて悪いんやけど
・・・・・」(海の近くに住むおばあちゃん)「ここの女中はちっとも働かな
いよ!あいつは菌を持ってるよ。」(東京で大きな料亭を経営していたという
おばあちゃん)「ここから出してぇ・・・・お父さん・・・」

 会話がよみがえって、うなされそうになってるんだから。俺の場合。
     
 04.01.25 是々非々
 色々な思いが交錯して、しばらく筆を持つ手が止まっておりました。(キー
ボードをたたく指と言うべきか?)
 20日に行なわれた臨時議会(新市長の所信表明とそれに対する各派代表質問)
の感想を書こうと何度も原稿を起したのですが、公表できずに長い時間が過ぎ
てしまいました。
 市長選後のシコリもあってか、私が何か言えばそれは現職市長の批判だろう
と思い込む人も多くいます。注目されることは嬉しいことですが、何も書けな
いホームページのアクセスがどんどんと上がっていくのを焦りの思いで眺めて
います。
 
 ですから自分自身の中にあるわだかまりを捨て、この際はっきりと表明して
おきたいと思います。

「私は海老名市の新しい政権に対して是々非々の態度で臨みます。」

 良いことをしようとするものには大いにエールを送りますし、ダメだと思う
ことについては恐れず批判も致します。

 選挙における態度は先日の日記にも書きましたがこれは政治家渡世の宿命。
批判覚悟で旗幟を鮮明にすることは政治家の務めです。
 しかし、ひとたび市民が公正な選挙で答えを出した以上その結果には従うの
もまた務めであり、それは私が負けた昨年の県議選でも「結果が出た以上当選
された方をこのまちの代表者として見つめていきます。」と申し上げた通り。
 
 新しい市長にはこのまちの改革に向けてまい進して欲しいと思っています。
やってみなければ結果のわからない改革は、やってみる(やらせてみる)べき
だと常々思っています。
 物事を変えようとすればそこに批判が生まれるのは世の常、その批判を恐れ
ずにやって欲しいと本当に思っています。

 20日に行なわれた臨時議会について客観的な目の中で思いきって感想を書く
なら、内野市長の態度はやはり一言で言えば「トーンダウン。」というふうに
見えてしまいます。大きな争点であった駅前開発についても、目玉施策の「小
中学校学区の撤廃」についても、また「サラリーマンの代表が議会にいないの
は明らかに問題だ。」と言ったことの真意についても、議会から問われれば、
「これから良く相談して。じっくり時間をかけて。段階的に。柔軟に。」とい
う説明に終始してしまいました。
 所信表明なのだから説明することや、できる。できない。といったこと以前
に市民に選ばれた者としての強い意思をしっかりと表明してくれればそれで充
分だったのに。と思いうのだが、改革の可能性をかって一票を投じた市民から
すれば、少々肩透かしをくわされたというところか。
 私たちがやっているのは政治ですから大風呂敷を広げて夢や可能性を語るの
も能のうち。しかし、願わくはその風呂敷がパッチワークキルトのようにその
場を取り繕ったものにならないよう、しっかりとした論陣をはってくれたらい
いなぁ。と、今後の市政に期待を込めつつ思うのです。
     
 04.01.18 遺恨を残さずに
 今週末も色々な行事がありました。多くの人と色々な会話をしましたが、ど
うしてもまだ選挙の余韻が残っており、会話は自然とその方向へ流されます。

 どうやら、昨年の市長選挙で私はかなりの人の恨みをかってしまったらしい。
三人が立候補した選挙であり、自らの旗幟を鮮明にすればおのずと他者から恨
めしい感情を持たれるのは仕方が無いこと。でも、ひとのために流した汗であ
り、元より打算も利益も無い行為だったのだからだれに遠慮することも悔やむ
ことも無いことと、心得ているつもりです。

 ただ、こういったことで過日まで自分を支持してくれていた人の気持ちが離
れていってしまうこともあり、そのことには辛さが伴います。
 痛みを避けようと思うならどっちつかずの両天秤を決め込むのが良策ではあ
りますがそれでは政治家としての覚悟を疑われてしまいます。

 今回のことは政治を道とする者の宿命と理解しようと思います。
     
 04.01.14 市長所信
 20日に行なわれる臨時議会での新市長の所信表明演説の原稿が私の手元にあ
ります。「ご自分で書かれたものだなぁ。」と、私も四年間一緒に議会活動を
した市長ですから、その文体を見るだけで、この文章が職員に書かせたもので
はなく本人のものであることが伝わってきます。
 今その内容をじっくりと考察しています。

一、市役所の組織機構改革
  具体策・マニュフェストを実現する作業を通じて職員の意識改革を実行し、
      市政の刷新を図る。
     ・意識改革は精神論だけでは解決しない。人事考課制度による職員
      の適正な評価を行なう。
     ・市役所の組織、機構改革を実行する。
     ・職員の「立候補」による人員配置についてシステムを確立する。

二、市民参加型行政の推進
   要点・直接民主制の要素を取り入れるが議会を軽視するつもりは無い。
      しかし、サラリーマンの代表が議会にほとんどいないなどその問
      題点は明白だ。
  具体策・市民による「事業評価委員会」をつくる。そのための「自治基本
      条例」をつくる。
     ・参加する市民に情報を提供し、育成する。

三、福祉事業の改革
  具体策・特に記述無し。

四、教育の改革
  具体策・小中学校の学区を廃止し、魅力ある学校をつくる。
     ・中学校部活動の活性化のために外部要員の協力を得る。
     ・教育委員について、市民を主体に選任するシステムの確立。
     ・学区の廃止による学校間の競争により教員の資質向上が否応無く
      進む体制を確立する。

五、海老名駅周辺整備
   要点・このまま完成した方が事業効率も上がり、経費の面でも無駄が出
      ないなど、市民の理解を得られると判断したものについては継続
      して整備を行なっていく。
     ・市民の意見を求めるまでもなく、中止あるいは停止と判断できる
      ものについては(私が)決断する。
     ・西口区画整理事業については関係者の意見を再確認する。
六、環境
  具体策・特に記述無し。

 私が感想を述べるのはいかがなものか?という思いもしますし、要点を記し
ただけでは皆さんに正確な内容が伝わるか?という問題もありますので、是非
20日には議場に足を運んで直接聞いてみてください。
 ただ、商工業、農業、医療などいくつもの分野について主張を省いている中
であえて西口の区画整理事業について言及していることについては意外な感じ
がします。この問題、市長の足下(上郷地区)で賛否が分かれる難しい問題だ
けに今後市長自身が東口整備で「私が決断する。」と言うのと同じように決断
できるのか?私個人としては注目点だと思っています。
     
 04.01.13 分数の割り算
 あなたは分数の割り算の意味を上手に子どもに説明できるだろうか?

 ある中学生の保護者から「うちの子は数学が苦手で・・・」とグチを聞かさ
れた。
 子どもの学力低下を嘆く報道を目にします。
「うちの中学校なんか数学の授業じゃ半分の子は“お客さん”だよ。」という
教師の話を聞いたことがあります。
 
 スタジオジブリの「おもひでぽろぽろ」という映画のワンシーンを思い出し
ます。今井美紀が声優を務める主人公が分数の割り算が人生の分かれ道だ。と
いうようなことを言います。それをすんなりとパスできた人はその後の人生も
スムースに行くのだと。

 前出の中学生の保護者は「うちの子、小学校の算数の授業で先生から“お前
は頭がかたい”と言われてから算数が嫌いになったのよ。」と。

 映画では小学生の主人公によるこんなシーンが続きます。
「ねぇ、三分の一を三分の一で割るってどういうこと?三分の一のリンゴを三
分の一に割ったら九分の一じゃない。なんで一個にもどっちゃううわけ?」
 優秀な姉は言います。
「違う違う!それは掛け算!」
「なんで割り算なのに量が増えるの?おかしいじゃない?????」
「えっ????もぉ〜そんなこと考えてないで、分数の割り算はだまってひっ
くり返して掛ければいいのよぉ。もぅあんたって人は頭がかたくて変な事ばっ
かり考えてぇ。」

 となる。

 自然に考えてみれば、「分数の割り算てどいうこと?」と疑問を持った子の
方がとっても優秀で、物事に対して考える力を持っているということだと思う
し、ただ言われるがままにひっくり返して掛けるという“手法”だけを鵜のみ
にする子が賢いというようなことは無いと思うのだが、残念ながらわが国の教
育ではそのようなことになっていないし、その余裕も無い。

 色々な教科の中で数学だけは、一段一段積み重ねるように理解していかない
と次の理解に進まない。掛け算割り算のできない人が因数分解をこなすことが
できるわけが無いのだが、この国の教育は、歳がくれば否が応無しに次の段階
に進んでしまう。

 習熟度別進級システムというものが教育の分野で検討されているらしい。実
に現実的な課題であり、是非実現して欲しいものだ。

 聞けば我が家の長男(小学5年)は今まさに分数の授業をしているらしい。
     
 04.01.12 議長就任報告会へ
 海老名市議会の議長に主任した高橋進氏のお祝いの会に招かれ、出席をさせ
て頂きました。あまりこういうことは日記に書かないのですが、私にとってこ
の会に招かれることの意義はとても大きなもので、それは判って頂ける人には
判ってもらえると思うのですが、実に光栄なことなのです。

     
 04.01.11 農林水産大臣
 小泉内閣の混乱の中で、だれも引きうける者のいない役職となってしまった
農林大臣という職を、結局小泉総理の側近である山崎拓氏のそのまた側近とし
て、山崎氏の顔を立てるかたちで引き受けた亀井善之氏。(伊勢原市在住)当
初から予想された通り、牛肉の関税引き上げという辛い役目を負わされ、その
上米国でのBSEの発生、コイヘルペス、養鶏のインフルエンザ発生(13日追
記)と、たて続けに災難を背負わされてしまっています。正月に同氏とお会い
した時にはやはり少しお疲れの様子でした。

 私は厚木で政治の現場を学んだ者なので、亀井氏やその奥様、支援者の皆さ
んにはとてもお世話になった経緯があります。大臣自身今でも会えば「よう!
しんちゃん」と声をかけてくれる気さくな人柄の方ですが、一方でかつては落
選の経験もあり、中央の政界では苦労人として知られている人なのです。

 その亀井氏が大臣主任直後に私の選挙事務所を訪問してくれたことがありま
す。さすがに大臣ですからSPや私服警官も含めて大勢の警護に囲まれておい
でになりましたが、相変わらず「よう!しんちゃん」

 

 どうかこの難局を無事乗り越えて頂きますようお祈り申し上げます。
     
 04.01.09 新市長の所信表明議会
 新市長の所信を表明するための臨時議会が1月20日に開催されます。午前9時
30分からの開会で市長が所信を表明し、各会派の代表者による「代表質問」が
行なわれます。代表各位の持ち時間は35分という限られた時間だそうですので
内容を掘り下げた議論は期待できそうもありませんが、私も傍聴に行くつもり
です。
     
 04.01.08 おもしろい本
 新春からなかなか面白い本に出会いました。

「人生の地図」  高橋渉 編著  A−Works社刊 \1400E
 

 30分で読める本です。モノクロやセピアのシブくてかっこいい写真に編者の
選んだ様々な格言を織り交ぜてあります。例えば失業したり人生に迷ったりし
たときに読んだら元気が「ポッ」と沸いてくるような、他人の目を気にせず自
分のやりたいことに挑戦したくなるような本です。
 格言と言ってもそれは優れた芸術家やアスリートのような人たちのものばか
りではなく、マンガやテレビドラマのセリフ一節であったり、主婦やヤンキー
兄ちゃんのものだったりするのですが、これ、(この本)いいですよけっこう。
     
 04.01.07 注目される人がすべきこと
 最近なぜか時々思い出すのだが、3年前に行われたオリンピックの柔道無差
別級決勝戦のこと。日本の篠原は相手の内股をみごとにすかして相手を倒した
のに、審判員の判定は相手選手の技ありをとり、そして篠原は負けた。
 火の玉のようになって審判団に抗議する山下監督の姿とテレビカメラの前で
悔し涙を流しながら結果を伝えたNHKの有働アナの姿が印象的だった。
「ミスシャッジじゃないか!」と世界で一番言いたいのは当の篠原選手自身で
あるはず。しかし、彼の口から出た言葉は「私が弱いから負けたのです。」と
いう言葉だった。
 山下監督が抗議することは今後の審判技術の向上のためにも良しとしよう。
アナウンサーが泣くのもいいじゃないか。応援している人の気持ちというのは
だれにも縛ることはできない。しかし、たとえどんな結果であれ、下された判
定には従う。という当事者としての篠原選手の態度には柔道家としての精神の
崇高さを感じずにはいられない。なにより国民の多くが、その言葉に悔しい気
持ちを救われたし、柔道を愛する世界中の人々が柔道という武道の精神面での
素晴らしさを改めて感じ、それを生んだ日本という国を再認識してくれたので
はないか?

 国民から注目されるスポーツ選手も市民から注目される政治家も同じなので
はないだろうか?試合も選挙も結果を争うことは大切だけれど、そこで主人公
となる選手や候補者の高揚した精神に人々は信任や希望を寄せ、それが人々の
意識を変え、まちを世界を動かして行くということなのではないか?

「弱いから負けた。」とは思わないけれど、優劣の差もまた少なかった戦い。
その戦いを人が裁いたのだから、結果はいかにせよ当事者がその裁定に従うこ
とで柔道で言うならば武道の精神を世に伝え文化の向上につながるし、選挙に
おいてもそういった態度が民意を鎮め徳治となり、市民福祉の向上につながる
ものと思うのだ。
     
 04.01.06 充電と放電
 今日は自分なりに、ある迷いに答えを出せました。
 以前にも日記に書きましたが、この浪人の四年間は私にとって充電の四年間
か?それとも放電の四年となるのか?
 
 今日その答えをはっきりと見つけたような気がします。実は今日、初めて介
護ヘルパーの助手としてあるお年よりの入浴のお世話をさせて頂いたのです。
85歳のおじいちゃんのお宅へ伺って自宅のお風呂に入って頂くのを介助した
のですが、お宅へ伺うと何とそのおじいちゃん、私がかつて県議会議員の秘書
をしていた頃に後援会の役員をして下さっていた方だったのです。家に入る前
にそのことに気づき、やはり戸惑いました。「お前こんなところで何やってん
だ?」なんて聞かれたら何と答えよう?それに顔見知りの私の介助を受け入れ
てくれるだろうか?うまくやれるだろうか?・・・・不安は無限大に広がり、
額に冷や汗がにじみました。

「こんにちは!ヘルパーの長田です。今日はお風呂のお手伝いに伺いました。
今日は天気がよくて暖かですねぇ。○○さんのお風呂のお手伝いは私はじめて
ですので何かあったら遠慮なく言ってください。」
 そこまで一気に言って相手の様子を伺った。
「・・・・・・・・・・・     ・・・・・」
「○○さんこのごろお返事がないのよねぇ。」
とベテランのヘルパーさんがフォローしてくれて入浴が始まりました。

 全身を冷やさないように何度もお湯をかけながら、丁寧に洗って、そしてで
きるだけ気分を和らげるように色々と話しかけ。
「○○さんは農業をなさってたんですか?やっぱり身体がしっかりしてますね
ぇ。私は海老名なんですよぉ。」
 やはり私のことには気づかれなかったようです。

 そして、やがてさっきまでの冷や汗が玉のような充実の汗に変わって、気持
ち良さそうなその人の顔を見て家路に着くころ、私はある種の確信を抱きまし
た。
 この四年間、私が何をやっていようとも、どこに居ようとも堂々として、そ
して前向きに一所懸命にやっていられればそれは間違いなく"充電"なのだと。
その経験は必ず政治の世界で活かされるのだと。そう、例えば逆に「俺は議員
だったんだ。」なんていうプライドや「冷や飯を食わされている。」「こんな
姿は人に見られたくない。」などというネガティブな思いがあったなら、それ
はみごとに電極を変えて放電となるのだと。
 当たり前のことと思われるかもしれませんが、私はこの8ヶ月そのことに気
づいてはいなかったし、やはりプライドの鎧を着ていたのだ。
     
 04.01.04 朝青龍と曙
 横綱の朝青龍が、無断でモンゴルに帰り、角界の偉い人の葬儀を欠席したと
か、新年の諸行事にやってこないなど色々と問題行動があって周囲を困惑させ
ているそうだ。また、大晦日のK−1でボブサップのパンチに、煮込み過ぎの雑
煮餅のようにベチャっとリングに倒れた曙も含めてどちらも誠にみっともない
話である。

 朝青龍と曙という二人の男に相撲という日本人の精神文化の中にある大切なも
のを陵辱されているような感覚になるのだが。考えすぎか?
 そもそも大晦日という厳かなひとときに人が殴り合い血を流すことに歓喜して、
各々のDNAの中にある闘争本能を慰めているこの国の民のマスターベーション
な風景には・・・・・いやこれはやはり考えすぎかもなぁ。

 いつも疑問に思うのだが、相撲は格闘技か?皆さんはどう思われるだろうか?
武道?それともスポーツ? 否、私はいずれとも違う“国技”であると思ってい
る。
 妥協のない肉体のぶつかり合いは確かに激しいものであるし、実力主義の戦い
の世界でもある。しかし国技としての相撲には日本という国の伝統や文化、例え
ば化粧まわしや江戸文字、ふれ太鼓、のぼり旗などに見られる芸術性、しきたり
や習慣を守る様式美など、この国にかつてあった伝統の一部を受け継ぐ大切な役
割があると思う。従って力士に求められるものは強さだけではないと思うのだ。

 更に、横綱というのはいかなるものか?一般には番付の最上位と理解されてい
るが私は違うと思っている。番付の最上位は大関である。この大関という位には
降格があり、取組に勝てばなれるし、負ければ自動的に格下げとなる。これが番
付だ。しかし横綱はと言えば、一度なってしまうと降格が無い。弱くなったら引
退があるのみ。そして強ければなれるというものでもなく、人格などを総合的に
判断する横綱審議委員という第三者の推挙が必要である。つまり横綱だけは他の
番付と違った名誉ある称号なのだ。

  (長くなりそうなので時間が無い人はこの辺でやめといてください。)

 相撲の土俵は丸く、ボクシングやK−1のリングは四角い。四角いリングでは強
者が弱者をコーナーに追い詰めて徹底的に叩きのめすシーンが見受けられる。つ
まり強いものと弱いものをはっきりさせるための場所なのだ。
 一方土俵は丸い、体の小さな者でも弱い者でも丸く回りこむことによってその
空間は無限な広がりを見せる。弱いものが技によって強者に勝つことも成り立ち
やすい空間だと思う。
 リングを使う競技では平等を保つために体重別に選手を分ける。一方相撲の場
合、土俵の丸さが巧者の技を発揮させ、体重による区別は無い。西と和の感覚の
違いを物語るものではないだろうか?

 さて、2004年が始まったが、21世紀初頭はアメリカを始めとする西欧文化とそ
の他の文化がぶつかりあう時代となりそうだ。その他の文化の中で先鋭化してい
るのがイスラムである。100年戦争という言葉もあるが、昨今のイラク、アフガ
ンでの戦争の禍根は今世紀中にはかたがつかないほどの禍根を残す可能性がある。
 グローバリゼイションと言うが、見方によっては欧米にとっての都合の良いシ
ステムをそう呼んでいることも多く、そういった世界環境の中で日本という国が
どういった存在感を発揮していくかがこの国の大切な課題であると考える。近し
いがゆえに、欧米の思いあがりに適度なジャブ・・・いや“いなし”を与えられ
るのもこの国の役割だと思うのだがいかがだろうか?

 後記・いやはやとんだ脱線日記となった今日の駄弁。あえて推敲せずにアップ
してみよう。ついては正月ボケのなせるものとお許し願いたい。
     
 04.01.02 選手・監督・コーチ
 クイズ番組に出演していた野球の新庄選手が日米の野球の違いを問われ、こ
う答えていました。
「アメリカの野球はねぇ、選手が一番なんですよ。順序で言うなら選手・監督
・コーチの順なんです。だから選手をうまく乗せられる監督が良い監督と言わ
れるんです。コーチが下手に選手を指導しようなんて思っても選手が納得しな
けりゃだれもコーチを相手にしません。」

 新庄選手が意識しているかどうかは判りませんが、とても含蓄のある言葉と
感じました。とかくトップダウンの日本社会では野球も順序は、監督・コーチ
・選手ということになっているのでしょう。そんなことを考えたとき、日本の
行政にもまるまる当てはまる話だなぁ。と思ったのです。

 まちの行政を動かすのに市長と職員と市民がいるならば、その順序を市民が
一番に来るようにすることが市民の自主性を呼び覚まし、真の住民自治を進め
るし、市長の仕事は市民を乗せることであり、職員の仕事は市民の自主的な自
治をサポートすること・・・・・・トップダウンはダメ・・・・

 こたつの中でおとそ気分に浸りながらテレビを眺め、そんなことを考えてい
るころ、新庄選手は鉛筆を転がしながら1.000万円を獲得した!
 屈託のない新庄の笑顔を見ていると「あんまり難しくものを考えるのもダメ
かもなぁ・・・・」などとと腕枕の頭で今度は考える。 正月二日です。
     
 04.01.01 年頭の思い
 平成16年が始まりました。自宅のテラスから初日の出を拝みながら3年後の再
起を胸に誓いました。

 元日の朝刊に憲法改正についての世論調査で積極派と容認派を合わせると80%
を超えた。と報じられています。イラク派兵などの影響が表れているようです。

 私は、改憲に対する近年の急速な意見の高まりには少々疑問を感じています。
「果たして国民は改憲の意味合いを深く考えて、あるいは議論して確たる意見
をもって80%もの人が改憲の意見を表明しているのだろうか?」

 私の印象では、あれもこれも何も変えられないガンジガラメの今の社会の中で
“最も変えられないものの象徴”として憲法がある。という印象を国民が持って
いるのではないか?と考えます。硬直化した時代の中で“何かを変えたい”とい
う思いがマグマのように国民の内面で圧力を高めている現状の中で憲法を問われ、
ある種の“条件反射的”に改憲に賛成しているのではないか?と考えます。
 何を隠そう私自身もその程度の認識の人間なのだが。

 いずれにせよ、今年一年のこの国の政治にとってこの問題は大きな課題となっ
てくるでしょうし、論憲に対する国民世論の高まりを期待します。

 平和維持のために軍隊の不保持を貫くのか?
 平和維持のために自衛隊と防衛を正式に認めるのか?
 という問に答えを出すことは簡単ではないでしょう。改憲を言う者はそのリス
クを見とおす眼力を持たなければならないし、護憲派はいいかげんに情緒論的な
反対ではなく、グローバリズムや国際情勢という現実を受け入れなければ話にな
らないことでしょう。

 景気の快復も序々に足下を固めつつあるような気がします。今年一年が新しい
時代の幕開けとなるような、国民意識の高まりに期待します。
     
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