01.01.01 21世紀への思い
 「散歩のついでに富士山に登った人はいない」と言われます。
 新世紀を迎える昨今新聞やテレビの特集で100年前の日本の有識者たちが、100
年後、即ち今日の日本人がどのような生活をしているか、予想した内容を報じています。
そしてその多くが実に的確に今日の私たちの生活を言い当てていることに驚かされます。
 携帯電話やインターネットの普及を予言したもの、新幹線や自動車などの交通網の発
達を言い当てたもの、義務教育から大学教育までの教育の発展、CTスキャンなど医療
の発展、宇宙ステーションの登場など、その想像力には驚かされます。
 さて、そこで考えてみました。100年前の人たちがなぜこんなにも遠い未来のこと
を想像できたのか?昔の人たちだけが特段に想像力があったとか、予知能力が有ったわ
けではないと思います。ではなぜか?私なりの意見としては順序を逆にして考えて見る
とわかりやすいのですが、「想像したからこそそこに到達した」と考えるべきではない
かと思うのです。「念ずれば花ひらく」という言葉もありますが、ああなったらいいな。
こうなったらいいな。から、ではこうしよう。ということの積み重ねが今日の社会を作
り上げたのではないでしょうか。つまり「散歩のついでに富士山に登った人はいない」
と言われる通り、富士山に登ろうと決心したひとだけが富士山に登れるということと同
じであると思うのです。

 さて今21世紀を迎えて私たちは新たな世紀をどのように想像するのでしょうか?で
きるできないは別として想像しることが大切ですから100年後、私たちの生活はどの
ようになっていて欲しいと望むかによって未来も大きく違ってくるのではないでしょう
か?
 うん、なかなか思い浮かばなかったり悪いイメージばかりが頭に浮かぶところに現代
社会の最大の病理があると思うのですが、思い切って良いように想像してみましょう。

 例えばそれは宇宙船が空を飛ぶとかロボットが家事をこなしてくれる。といった科学
技術の発達した世の中でしょうか?
 例えばそれは世界の国境がなくなり、アジアが一つの通貨圏で結ばれるなど、経済が
発展した世の中でしょうか?
 例えばそれは古き良き日本に立ち返るというような復古的な姿でしょうか?

 私は望みます。
「21世紀のわが国は、人間が人間として人間らしく生きられる国であって欲しい。」
と。
 環境の破壊がやみ、資源循環という自然の恵みのなかに成り立ちうる生活があり、戦
争の恐怖から人々が開放され、自由を希求する市民がその代償としての奉仕を惜しまな
い社会。
 あらゆる分野の科学技術は発達し、そして人類がその技術を活かしうる倫理観をも同
時に獲得できる社会。
 政治がその信頼を回復し、行政がその機能を存分に発揮し、企業は利潤を追求すると
同じように社会への貢献をも望む社会。
 子どもたちがあらゆる飢餓や迫害から開放され、バーチャルな幻想からをも開放され、
学ぶ目的を持てる社会。

 そんな社会の実現のために、例えば今の有り余った物質文明と決別することになんの
ためらいが必要でしょうか?
 
 そんな社会の実現のために私は生きたい。

01.01.02 箱根駅伝応援
 母校拓殖大学は今年も予選会からの出場。名将米重監督のもとに優秀な選手も集めて
 いるし、我々も少しばかりではあるが毎年カンパを募って支援している。
  そして毎年の正月二日と三日は沿道へ出て応援するのがすでに習慣というか正月の
 ライフ ワークになっている。
  いつものことかながら“今年こそは”と意気込むが、やはり今年もダメかぁ。 
 往路10位じゃなぁ。なんとか来年のシード権獲得(9位入賞)だけは果たして欲し
 い!
01.01.03 ふろしき
 年始まわりの日々です。箱根駅伝も惨敗に終わり、昨夕より親類を手始めにお年始
のあいさつ回りを行なっています。あいさつ回りといっても各家々で年賀の宴席を設
けているところへ行き、うやうやしくあいさつを述べ、イッパイご馳走になる。とい
うのがその内容。従って一日にこなせるのはせいぜい三軒程度です。
 今日のタイトル風呂敷(ふろしき)ですが、私はこのような席に出るとき一つこだ
わりがあります。それが風呂敷。お年賀ののし紙を貼った菓子折りなりお酒なりを裸
のまま持参したり、紙袋に入れてぶら下げるのではなく、風呂敷に包んで左胸の前に
抱え込んで訪ね先の玄関へ入るのです。いつか電車の中でそのように風呂敷包みを抱
えたスーツ姿の素敵な紳士を見かけたのがキッカケ。(不思議と背筋がのび凛とした
気持になります。)
 そしてお座敷に通されたのち正座をして両手をつき(風呂敷はひざの横)改めて年
賀の祝辞を述べ、その後その風呂敷包みを両膝の前へすり出し、包みを解いて中身
を先方へ差し出す。「つまらないものですが。」  
 この所作が誠に勝手ながらカッコイイと思うのです。最近では風呂敷も様々な柄の
ものがあります。また包み方も研究しました。有馬図書館には「風呂敷」というタイ
トルの本があり、様々な包み方を解説したページもあります。やってみれば面白いも
ので一升瓶の包み方などはほとんど芸術です。
 日本の古き伝統。大切にしたいですね。正月になるとそんな気にさせられます。

 よもやま話でした。
01.01.04 センス
 はずかしながら小生、洋服を選ぶセンスがまるでダメ。背広姿しか見たことが無いと
言う人も多いかも知れませんが、スーツ以外人前で着れる服を持ってないのもその理由
の一つ。
 今日、各種スーパーなどで「初売り」と称して冬物の服がお安いそうで、女房にせき
たてられ買物に。こんなとき男っていやになりますね。レディースの売り場で洋服を見
る女房をウロウロしながら待つのは実に恥ずかしい。仕方なく紳士服売り場へ。「これい
いかなぁ。」なんて思って、それなら買えばいいのにわざわざ女房に見せるもんだから
大抵は不合格。色合いとか取り合わせとか言われても全然判らないんです。特にズボン
買うときのスソ直しが大の苦手です。スソに針を通されるとき、「俺の足、臭くないか
なぁ?」なんて思っちゃってもう顔赤くなっちゃうんですよねぇ。
 わかります?わからないですよねぇ。
01.01.05 ミレニアムベィビー
 少子化、少子化と世の中の人たちは大騒ぎをしていますが、昨年一年間に生まれた子
どもはその前の年に比べて十数%も増加したそうで、大きな要因が西暦2000年にち
なんだミレニアムであることは間違いなさそうです。
 世の政治家諸兄が少子化対策と称してやれ保育園を増やせ、子どもの医療費をタダに
しろとシャカリキになっているのを嘲笑するかのごとく“ただ2000年”というだけの理
由で十数%も子どもが増える。
 これってどういうことでしょう?
 つまり出生率が減少する問題と保育園の数や医療費の問題とはほぼ無関係であるとい
うことではないでしょうか。以前にも書きましたが養育費とか学費とか20代、30代の若
者がソロバンはじきながら子づくりしているようならその方がよっぽど問題であって、
保育園が充分にあるとかという問題とは別問題であることをこのミレニアムベィビーと
その両親たちは物語ってくれているのではないでしょうか?
 しかし現実に子どもが全国的にいや世界的に十数%増えたということは大問題であり
ます。つまり現状の福祉や教育の水準を維持するためには大急ぎで保育園や小中学校、
高校大学、病院、就職先、果ては老後や墓地霊園の問題まで関連する総ての分野におい
て対策を講ずる必要があり、それはそれは大変な問題だと予想されます。
 今の五十歳台の団塊の世代の人たちが、数が多いということで色々な場面で厳しい思
いをされてきたことと同じような現象が規模は小さいながらもこのミレニアムベィビー
たちを待ちかねているということではないでしょうか?

 なにはともあれ、多くの親が、マインド(気持)の部分で21世紀に希望を持ってくれ
たことのあかしとしてこの子たちが生まれたのなら、それはそれは歓迎すべきことで、
この子たちのためにも永続可能な地球を残してあげたい。
 そう思うのです。
01.01.06 OFF・初詣
 午前中の行事(ジャンボカルタ大会)出席を終えて午後は東京下町、門前仲町、富岡
八幡宮へ初詣に。6日とはいえさすがは下町、活気にあふれていました。
 参道では名物の揚げまんじゅうをかじり、おでん屋の屋台で熱燗をひっかけ、佃島の
ジャコの佃煮を手土産に。更に月島へ行ってこれまた名物、軒を連ねるもんじゃ焼き屋
(有名店・たんぽぽ)で「そばもんじゃ」に舌鼓。
 更に更に一足のばしてお台場へ、ビーナスフォートはまるでおとぎの国に迷い込んだ
ような幻想的な世界。アイランドモールの「台場小香港」は本場香港料理の名店がこれ
また軒を連ねています。七草粥には一日早いが、代わりに中華粥をすすって帰ってまい
りました。
 東京・下町っておもいろいよねぇ。時間があればそこから水上バスで隅田川をのぼり、
一路浅草へ。と行きたかったところですが、時間切れでした。
01.01.08 新成人諸君へ
 今年の海老名の成人式、例年に無くスムースで静かにできました。これまで成人式の
存廃を含めて議論すべきと主張してきた私で、何人かの若者からメールで反論も頂いて
おりましたので「今年の様子を見させて頂く」と若者たちに言ってきましたが、とりあ
えず平静な式典の様子に私自身も胸をなでおろしております。
 もっともかく言う私自身、自分の成人のころを思えば今の若者にとやかく言う資格は
なく、地元の成人式にも参加せず仲間のワルどもと新宿へ繰り出し大宴会のあと歌舞伎
町で乱舞乱闘を繰り広げていたのですから・・・・
 しかし成人式という儀式がすでに“形骸化”してしまっているのは高知県知事の激怒
事件をはじめ各地で問題になっている状況からすれば明らかで、それは海老名について
も例外ではないと言えると思います。
 従って今後成人式というもののあり方を根本的に議論しなおす必要はある。と改めて
実感しています。もちろん形骸化しているのは成人式だけでなく、ふるさとまつりなど
の各種お祭りや敬老の集い、平和の式典、防災・・・ひいては政治や選挙まで、すでに
“できあがってしまった”世の中で私たち個々人の生活感覚自体が形骸化するなか一部
のできごとだけを取り上げて刷新を主導するのには無理があるかもしれませんが。

 さて新成人諸君へ。おめでとう。と心から申し上げます。しかしあなた方がこれから
生きる多難な時代を思えば能天気にお祝いばかり言ってはいられない気にもなります。
すでにみなさん薄々とは感じておられると思いますが、少なくともこのままの社会が“
このまま”続くということはありえないということを成人するにあたって自覚して頂き
たいと思うのです。
 例えば化石燃料に頼るエネルギー枯渇の問題は最もわかりやすいこと。悪化する環境
破壊の現状には言わずとその危機感は沸いてこようというもの。食料の問題も国の財政
もこのままの状況が続けばやがて破綻します。そして地域社会や家族といったコミュニ
ティーでさえ“このまま”の状況が続いたらいったいどうなるのでしょうか? 学校は?
会社は?
 そう、思いませんか?
 つまり私たちはいつ谷底に落ちるか判らない列車に乗り合わせた隣人であることを互
いに自覚したいのです。昨日までは子どもだった。でも今日からは私たちと一緒に列車
の外へ目をやり、線路の先に目を凝らす役割を担って頂くことを求めます。
 
 現代社会という暴走列車を停められるのは私たちの若い力と勇気なのですから。
01.01.10 ヤリガイと責任を感じます

「市税を滞納している市民には各種補助金等を支給しません。」 昨年三月に本会議で主張したことが実現へ。
 今日議員全員による協議会。席上海老名市より「市税を滞納している市民には各種補 助金の支給を制限したり、入札への参加を制限するなどの規則を定めた」という趣旨の 説明がありました。  近年海老名市では税金の滞納が増え、その額は5年累計で13億円あまりにもなりま す。会社の倒産やリストラ、病気などやむなく滞納におちいる人がいるのは仕方がない にせよ、支払いの能力があるにもかかわらず“支払わない”悪質な滞納者も多いのが現 実。  これら社会へのあまえとも言える悪質な滞納の穴埋めは、結局まじめに納税している 市民が行なうことになるわけで「正直者がバカをみる」ような社会を放置するわけには いきません。  私は昨年三月に行なわれた定例議会の一般質問でこの問題を取り上げ、悪質な滞納者 に対して市は厳しい態度で臨むべきだ。という主張を致しました。少なくとも税を納め ないひとに各種の補助金を差し上げるのはいかがなものか?と問題提起をしました。  以来九ヶ月。市では幹部の職員諸氏による侃侃諤諤(カンカンガクガク)の激しい議 論の末この決定を下されたようです。  さあこれからです。  私にとっては自らの主張が取り入れられた一つの成果であり、喜ばしく議員としての ヤリガイを実感できること。しかし同時に「良薬は口に苦し」効果が期待できる分厳し い制度。当然に市民の反発も予想されます。    この制度の実施を公に求めた議員は私です。従ってその評価も批判も私が受けてしか るべきもの。そう思っております。   制度の詳細はトップページより市政速報のコーナーにて近日中に公開します。 《追記》1月13日市政速報を更新しました。
01.01.12 議員会・賀詞交歓会
 市議会議員全員をメンバーとする議員会という会があります。会の目的は議員どうし
の交流促進。かつてはボーリング大会なんてのもやっておりましたが、「議員さんがが
ん首そろえてなにゆえボーリングなわけ?」という世間一般の素朴な疑問にお答えする
かたちで今は廃止されています。従って日頃はもっぱら議員各位から月々の会費を集め
て会議のときの弁当代を支払うための会になりつつあります。
 今日はその会主催の新年会。たまには議員どうし胸襟を開いてホンネの議論を!とも
思いますが、酔っ払うと態度がでかくなり勝ちな私。まずは自重、自重。
01.01.14 出初式
 新年にあたりどこのまちでも消防本部や消防団など日頃防災にかかわる各種団体が一
堂に会してその人員や装備を披露する恒例の行事です。
 いや〜しかし今年の出初式はもー寒いのなんの。凍てつく北風が容赦なく吹き付ける
中1時間半にわたり直立不動の隊員さんに団員さん、市長さんはじめ関係者の皆さん本
当にご苦労様でした。
 皆様のご苦労のおかげで今日も安心して暮らせると、心からの感謝です。
01.01.15 男女平等参画社会
 男女平等が叫ばれて久しい。海老名市でも今月27日に女性講談師の神田紅さんを招い
て女性の社会進出に関する講演が行なわれる。
 ウーマンリブなんて言葉はすでに死語であるが、海老名の議会でも女性議員諸氏によっ
て、ドメスティックバイオレンス(家庭内で夫が妻を殴るなどの暴力)やセクハラの問題
が取り上げられたり、市の職員や各種審議会への女性登用率の低さなどが指摘されている。
 一方男性陣は、茶飲み話ではあるが「何でも平等なら力仕事も一緒か?」とか「うちな
んか女房の方がよっぽど強い」なんて言ってせっかく永年築いた男の特権を崩されまいと
苦しい言いわけで防戦の一方だ。
 さて何はともあれいかなる世の中でも男女の権利は平等でなくてはならない。現在の男
女平等という理想は弱者である女性の側が声をあげることによって社会通念として認知さ
れはじめようてしている。しかし本来ならば男性は女性の、女性は男性の権利を互いに尊
重しようとする精神からこの運動が展開されることが望ましいありかたのように思われる。
 今日1月15日は小正月、別名女正月。旧来、年末年始で疲れた女性を休ませてあげる
ため、実家に帰したり、男が家事を行なうなどの思いやりの一日であったそうだ。
 現代の男女平等よりもはるかに慈愛に満ちた思想がこの国にあったことを思い起こした
い慣わしである。

その他・本日の行動

 広域大和斎場組合議会視察、立川市の火葬場へ
 海老名商工会議所賀詞交歓会出席
01.01.16 バリアフリー
 福祉の分野には横文字の言葉が多くて難解ですが、バリアフリーとは要するにバリア(
障害)がフリー(無い)ということのようです。具体的には道路などに段差が無いとか、
公共施設等にエレベーターや多目的トイレがあるとか、案内板の文字を大きくするなど、
障害者やお年よりに配慮したまちづくり全般を指す言葉のようです。
 最近では行政や一般社会でも頻繁に使われる言葉となり今進行中の駅前開発などでも当
然にバリアフリーであることが前提となっています。
 今日も一日車イスの方のお供をさせて頂き、改めて今のまちがバリアフル(障害がたく
さんある)かということを実感しています。
 例えば歩道を車イスを使って自力で移動するとき、その歩道には道路の中央にむけてわ
ずかな傾斜が付けられています。これは雨水を側溝に誘導するためですが、これが車イス
の人にとっては大変な障害になります。ほとんど片手で漕ぐような状態になり傾斜の激し
いところでは片手で漕いで、もう片方の手でブレーキをかけながら進むような状況になり
ます。私などが車イスをうしろから押していても距離が長くなると片手に負担がかたよる
のを感じます。
 他にも食事をしようにも入り口等に段差の無い店は10軒に1件程度でしょうか。障害者用
のトイレなんて街中に出たら探すのは容易ではありません。
 ノーマライゼーションなんて言葉も言われるようになりました。つまり、社会には障害
を持つ人がいるのは当然で、それらの人たちが健常者に「助けてもらう」とか「施す」と
かではなく「当然」に「普通」に「堂々」と生きられる社会を作らなければならないとい
うことらしいですが、まったくその通り。この国にはそのくらいの余裕はあるとおもいま
すから。
01.01.17 IT講習会
 森さんの命運をかけた「イット!?革命」がいよいよ具体化し
つつあります。昨年秋に成立した補正予算により海老名市に対して3千万円以上の予算がつ
けられ、来年度市民3500名を対象にIT講習会を実施することとなりました。
 本日の市の説明ではパソコンの端末60台を購入し市内の主要な公共施設に設置、同時
にオンラインのためのインフラも整備する方針のようです。

 この講習会の内容は初心者の方を対象に

  @ワープロが打てるようにする。
  Aインターネットのホームページなどを観られるにする。
  BEメールが送受信できるようにする。

 というもので、講習は全部で12時間。20名程度の教室に2名の講師。四月頃第一期の受
講生を募集し、6月頃から講習が始まる見込み。
                                           以上概略でした。
01.01.18 かしわ台駅の改良
 相模鉄道では相鉄線かしわ台駅に2基のエレベーター、4基のエスカレーターを設置する
ほか多目的トイレの設置などバリアフリーな駅舎改良を行なう計画を昨年末発表しました。
 海老名駅舎改良と違って市の負担無しでやって頂けるんですからこれはありがたい話で
す。完成は平成14年5月の予定。
 以下完成予想図


01.01.19 謹んでご訂正
 やはり気のゆるみか?
 本日当ホームページの“まちがい”があいついで発覚。読者の方より二件のご指摘を
頂きました。

 訂正その@ 個所、市政速報  誤・「市税の滞納は年間1億3千万以上!」
                正・「市税の滞納は5年間累計で13億円以上!」

     コメント・勉強不足が招いたケタ違いな勘違い。です。

 訂正そのA 箇所、昨日の日記 誤・柏台駅
                正・かしわ台駅

     コメント・「やっぱり長田は本郷の地元議員だ。と言われてしまいますぞ!」
           という忠告は効きました。

 以後気を引き締めてHPの作成にあたります。          反省

それから
 今日、今年の参議院議員選挙に自民党から立候補予定の小林ゆ
たか氏に会い、色々と話をすることができました。同い年ということもあって気軽に話
をすることができましたし、第一印象は“実直”という言葉がピタリとあいそうな人で
した。応援してください。


01.01.20 こんな意見も
 地元代議士の新春賀詞交歓会や隣組で法事など多忙な一日でした。
 色々な方と色々な話をするわけですが、やはり各地で問題となった成人式の話は多
く出ます。それにしても今日は面白い見方のご意見がありました。
「あなたたち政治家がさぁ、成人式はやめろとか、成人式でさわぐのはけしからんと
か言うけど、じゃ国会でのランチキさわぎはどうだってんですか?高知の成人式とな
んも変らんじゃないですか。まぁクラッカーはどうかと思うけどコップの水だってそ
れほど違いは無い。国会でそんなことやってて若いもんがマネしたって叱れやしねぇ
んじゃねぇの?」

ハイ・・・・ 返す言葉はいちごんもございません。

ちなみに、私の成人式。IN靖国神社。若気の至りとでも言いますか。
若い人のことを言う資格はありません。です。


01.01.21 13年度予算
 先日の新聞報道によれば海老名市の新年度予算はかなり厳しい内容のものになるら
しい。全体では前年度対比でごくわずかなマイナスとなるものの、その中には海老名
駅前開発のための国からの多額な補助が含まれても“わずかなマイナス”なので、そ
れが無かったら・・・実際には大きなマイナスというのが現実の話である。
 詳しい内容はまだ我々議会にも示されていないが、市役所内部の現場サイドでは相
当にシビアな予算案の査定が行なわれたらしい。
 ある幹部職員いわく、「まさにピンセットでつまむような作業。」だと言う。
 市長さんもつどつど、「うちの財政部門の職員は自分の金でもないのによくあそこ
まで真剣に取り組んでくれる。」とそのねぎらいを惜しまない。

 一方我々議会に関する経費だが、この5年間で議員四名削減という大ナタを振るった。
あのときは議会も意見が真っ二つに割れ、推進派の我々もなかりしんどい思いをしたも
のだがそのことによる経費の削減効果は決して小さいものではなく、今ではその苦労も
報われた思いである。さらに調査研究費という、言わば必要経費もかつて月額2万円頂
いていたものを1万5千円まで削減するというピンセット的な削減も同時に実施し、その
削減率から言えば、行政に対しても市民に対しても一層の行革を迫れる内容のものと自
負している。
(研究費はもう少し増額して欲しいと内心では願っているが。) σ(^_^;)
 行政も議会も自らの身を削った努力に大いに自信を持ち、納税者にアピールして欲しい ものだ。
01.01.22 グループホームを訪問
 一昨日の日記ですんごい過去をお見せしてしまった我が学生時代ですが、仲間にはマ
ジメに社会貢献しているヤツも多くいます。二年後輩の山本君は今川崎でグループホー
ムとデイサービスセンターの施設長として活躍しています。今日はその施設を訪問し、
高齢者介護の実態を学んできました。
 この山本君、学生時代も押忍の精神で気合の塊みたいな男でしたが、彼が以前勤めて
いた老人ホームでは夜勤ともなるとたったの2名の職員で70名のお年よりを世話していた
そうで、オムツ替えだけでも就寝前、深夜、朝食後と一晩に100回ほども行なうのが実態。
「先輩のシゴキよりキツイっすよ。やはり体が資本の仕事です。」と語っていました。
 池袋の街を縄張りに闊歩していた学生時代。警察のお世話になることもありました。で
もそのころには想像もできなかったやさしい笑顔でお年よりのはだけたシャツを直してや
っているその男の姿にこみ上げる感動さえ覚えた今日です。
01.01.24 新聞の書くことは正義か?
 マスコミ神話とでも言うのでしょうか、新聞に書かれたこと、テレビで紹介されたこ
とをとかく鵜呑みにしてしまう傾向が我々にはあります。しかし一方でマスコミ批判も
ささやかれる中、我々は自分の視点を持ってメディアと向き合わなければならないと思
わされることがあります。
 例えば今日の神奈川新聞のコラムに大きな疑問を感じています。
 アメリカはカリフォルニア州の停電騒ぎをとりあげ、その原因を電力供給の自由化に
あると定義づけています。そして自由化至上主義や競争至上主義の落とし穴だ。
 と、そこまではいいのですが、あげく新聞の再販制度とダブらせてこの業界に自由競
争が持ち込まれればカリフォルニア同様「知の電力」が国民に行き渡らなくなると言う
のです。
 こじつけもいい加減にして欲しいと思うのですが、新聞社も結局は自らの利益を優
先する一企業であることを同時に印象付けられるものでもありました。
 このコラムでは再販制度のおかげで全国どこでも同じ新聞を同じ価格で読むことがで
き、それは社会的利益を経済原理に優先してきた結果だと言うのですが、新聞各社は利
益をあげていないということもなさそうです。逆にマスコミから競争原理を排除した結
果、均質で差別化の無いメディアが出現し、国民が自分の目でメディアの良し悪しを見
極める目を奪ってしまったとも言えるのではないでしょうか?
 国会報道にしても、どのメディアも「森辞めろ」の一色ですが、中には違った視点か
ら報道する会社があってもい良いのでは?
01.01.25 それにしても相当に厳しいらしい
 間接的に、来年度予算の様子が伝わってくる。各種建設事業などのハード部門につい
ては予算を削減し、駅前整備に集中させる。一方、教育、福祉、環境などのソフト行政
については積極的な予算措置を講ずる。といような話は聞いていたし、私自身もソフト
行政への転換を主張してきたので概ねその方向性には賛意を持っている。
 しかし・・・どうやらそのハード事業の削減というのはハンパなものではないらしい。
新規事業を圧縮するどころか数年来継続して整備を進めてきた工事も途中で中段を余儀
なくされるものが相当にあるようだ。
 極端な話かもしれないが途中まで整備してきた道路や水路がプツンととぎれたままに
なってしまうような状況が市内のあちこちで当面の間続くということと理解すべきだろ
う。
 これは、、、かなり厳しい市民の反発があっても仕方がなさそうだ。しかしこれまで
微増を続けてきた市民税も来年度はついに減少に転ずるなか、建設事業がこれまでのよ
うに続けられないのは自明の理。問題はその厳しい状況をどうやって市民に伝え理解し
て頂くかということ。まさに我々政治を行なう者の力量が問われる時だ。

 時代は変化し、外交機密費などという暗黙の了解とされてきた政界の裏部分まで白日
にさらされ、存続も危うい“時代”である。すでに政治家の個人的な裁量にまかされる
分野というのは無いに等しいということのようだ。従って我々はその挙動をつねに明ら
かにしなくてはならない。今日のように厳しい予算状況が伝えられるなか、以前なら我
々はロビーイストとなって市長室に押しかけ予算の復活を迫ったことだろう。しかし今
やそれは禁じ手なのだ。
 予算案に対しての態度は本会議場で賛否というかたちで明らかにしなければならない。
そういう時代。ということなのだろう。
01.01.26 徘徊(はいかい)高齢者の居場所をPHSでキャッチ!
 昨日は厳しさが予想される来年度予算案についてかなり悲観的に書いてしまったが、
なにごともポジティブに前向きに考えることが私の信条でもある。
 そこで今日は海老名市が来年度大いにチカラを入れようとしているソフト分野の事業の
一部を紹介したい。ただ、まだ決まったわけではないのでそのあたりはご理解頂きたい。
 
 時おり防災無線を使ってゆくえの判らなくなった高齢者を探すための放送が行なわれて
いる。たび重なると「またかぁ。」なんて声も聞かれるが、家族にとっては大変な問題だ。
なにせ痴呆などが原因で本人が「ここはどこ?私はダレ?」の世界なのだから顔を知った
人が探し出すまで家に帰ることができない。
 そこで海老名市ではPHSの電波を利用した「徘徊高齢者位置検索システム」を来年度
導入しようとしている。一台8万円ほどする機械らしいが、市は有料(一ヶ月1.500円程度)
でこの機械を市民に貸し出す。もしお年よりのゆくえが判らなくなってもその機械さえ身
に付けていれば全国どこでも誤差30メートルの範囲でその人の居場所が判るというもの。
電波の届かない場所はどう?など詳しい内容をこれから調べてみたいと思っているが、痴
呆のお年よりもこのシステムがあれば必要以上に家に縛られなくてすむであろうし、家族
にとっても朗報となるのではないだろうか。
 このシステムの導入を議会の一般質問で取り上げたのが公明の福地茂議員である。また、
我が会派の今井和雄議員も“徘徊ネットワーク”の推進など関連する事業の推進を求めて
いた。
 まずは両議員の「功績」と言えるのではないでしょうか。
01.01.27 グロッキー・雪の土曜日
 年がいも無く、雪ってのはなんだか嬉しいもので、庭に積もる雪を窓の明かりに照らし
てボーッと眺めたり、表通りを行く車のチャリンチャリンというタイヤチェーンの音に耳
を澄ましたりしております。
 朝には溶け出した雪に少々ガッカリしながらも今日5件の新年会等の行事へ参加。
 しかし、「雪見酒ってなぁイイねぇ。」なんて言葉にのせられて昼間っからあおった酒
で行事も3件こなしたところで夕刻には完全グロッキー。天井が回るのを確かに見ました。

 《謹んでお詫び》
 ○○保存会の皆さん、新宿○○会の皆さん、すっぽかして 申しわけありません!(~_~;) 
01.01.29 国際協力事業団(JICA)へ
 青年海外協力隊などで知られる国際協力事業団で働く先輩を訪ねて横浜の研修センター
を訪問。色々と勉強させて頂いてきました。
 阪神淡路大震災以来この国に息づき始めたボランティアという古くて新しい概念。災害
現場や途上国の発展に尽くす人は確実に増えているものの、まだまだ社会全体の体制は整
っているとは言いがたいものがあります。
 例えば、社会人のあなたが数年とは言わず数ヶ月でも仕事を休んでボランティア活動に
出かけたら、帰ってきたころあなたの机は会社にあるでしょうか? 
 例えば市役所にも道路建設や下水道建設などの優秀な技術をもった人がいます。途上国
では最も望まれている技術の一つです。そういった技術を世界の発展のために活かしても
らえるようにできたら。
 と思うのですが、財政事情の厳しい今、とんでもない!と市民の皆さんに叱られるだろ
うか?
01.01.30 OFF
お休みを頂きました。ありがとうございます。
01.01.31 保育園について考える
 今日、文教社会常任委員会を招集し、市立保育園の保育料の一部(ほんの若干)の値上
げについて当局の報告を受けました。
 若干とはいえ値上げともあれば多くの議員から様々な意見が出されます。その意見は大
きく二つに分かれます。
 一つは市民福祉の向上のため、女性の社会進出のため、今後益々重点をおかなければな
らない福祉の分野であるのに値上げは時代に逆行していて容認できない。
 もう一つは厳しい財政事情の中、安易に福祉を拡大することは避けるべき、これからは
自己責任の時代であり、保育行政も民間委託を含めて検討すべきだし値上げは容認する。
といったもの。
  
  私は後者の意見に賛成です。夫婦共働きの世帯がすなわち困窮したかわいそうな世帯で
その子どもを社会的に保護しようという発想でかつて保育行政はスタートし、今に至って
います。しかしそのような時代はすでに終わり、今や夫婦がそれぞれに職を持つというこ
とは、生活を支えるためということよりも、互いに自己実現を目指して、という目的の人
が増えているのでないでしょうか?
 従って子どもを保育園に入れるならそれはそれぞれの家庭の責任(負担)において行な
うべき時代に来ていると判断しているからです。

 更にとかく公立の保育園は迎えの時間が5分遅れてもとやかく言われるが、民間の場合に
はそのあたりの対応が柔軟である。との評判をよく耳にします。公立も民間も保育料は同
じですし、最近では民間の保育園の方が保育時間などのサービスの点では格段に良いとの
判断から、民間の園を選ぶ家庭も増えています。
 一方、福祉サービスを総て競争原理の波にさらすことに不安を抱く人も多いことでしょ
う。公立には公立なりに損得とかけはなれたところで一定の保育水準を守っていくという
役割があります。
 従って市内に公立と民間の保育園が共存することが望ましいようです。ただ現状の保育
園を客観的に見たとき、民間園の方がコストの面で効率的に運営できるよう努力がされて
いると感じています。民間の保育園の方がサービスが良く、しかも低コストで賄えるとい
うのが事実であるならば、当然に今後の保育は公営から民営に重心をシフトしていくべき
と判断されます。
 これが私の今後の保育行政に対する基本的な考えです。

 ただ。更に高い理想を言えば、やはり幼児期の子どもは親のもとで愛情をたっぷりと注
いで育てる。というのが基本であると考えています。特にゼロ歳児保育とか長時間保育、
駅前でだれでもお手軽に子どもを預けて用がたせるコンビニみたいな保育園。そんなもの
むしろ社会悪(必要悪?)だと思うのです。
 子育てのために親の自己実現がある程度制約を受けるのはしかたが無いこと。その覚悟
が無いならそもそも子どもをつくるな。と少子化容認派の私は思うのです。
  女性には叱られるだろぅなぁ。子育ての苦労もロクに知らないくせに!って。

  2月1日追記・訂正・文中において公立保育園と民間保育園を比較したくだりで「民間園
  の方が料金は割高である」と記しましたが保育料は公立、民間共に同額でした。(無認
  可園の場合は別ですが。)また公立園は税が投入されているため安いとも記しましたが
  公立、民間ともに保育料に関する市の補助は同額でありました。
   検討の結果、誤りにつきまして上記の文章に訂正するとともに、読者の皆様に深くお
  詫びを申し上げます。                     
                                                              長田進治 (i_i) 
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