22歳、大学4年生。就職も決めずにキャンパスをうろついていた私でした。
まるで大学のヌシとでも言うか、そこに住みついているかのような存在の私で
したが、早稲田のスーパーフリーのなんとかという非人間とは全然違ったバン
カラ学生というやつ。実際、シロウト童貞と言ってもいいほどの・・・・・
ガクランに下駄履き、梅雨のある日、いつものように酔っ払って応援団の部
室に寝泊まりした日の午後、牛丼でも食おうかと外へ出たところへ一台の黒塗
りのプレジデントが目の前に停まりました。金色の菊の紋章が入った車体を見
て、「またヤクザにからまれるのか?」と・・・・実際数日前に池袋の西口で
松○会という組の方たちと小競り合いがあったあとだったので。
しかし車から降りてきたのは、やはりこの学校を何年か前に卒業された先輩。
家柄は四国高松の銘家で、今は衆議院議員の公選秘書を務めている方。金色の
紋章は自民党公用車のマークだったのだ。
「押忍!(オス)」
そのまま車に乗せられて連れていかれたのが生まれて始めて見る、芝の増上
寺の、そのまたとなりの東京プリンスホテル。つまづきそうにふかふかのジュ
ウタンを下駄履きで歩き、目的の会場は当時の運輸大臣橋本龍太郎氏の資金集
めが目的の政経パーティーだった。
金丸信とか後藤田正晴とか、新聞で見る政界、財界の顔を目の当たりにして
あっけに取られたもの。思えばあれが私と政治の最初の接点だったのだ。以降
私は根城を大学のキャンパスから高松選出の代議士さんの国会事務所へ移した。
あれから16年が経った今日、自民党山崎派の資金集めパーティーに出席す
べくその同じ会場に立ちました。当時の仲間が「お前、あんまり政治と離れて
しまうと油が抜けきってしまうぞ。たまには中央政界でものぞきに来い。」
と、さそってくれたのです。
そして私は、自分と政治の出逢いの原点を改めて確認してきたのです。
梅雨はまだまだ続きますね。何卒ご自愛のほど 祈ります
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