三田喜太郎氏が逝去されました。有馬村と海老名村が合併して、海老名町と
なった当時の村議会議員(町議会議員)で、合併の立役者と言われる人。御子息
洋氏は海老名市議会の議長も勤められたこのまちの政界の重鎮で、お孫さんが
私の先輩。
齢(よわい)90歳を過ぎてもかくしゃくとされていたその方は、私がご自宅を
訪ねたとき、「家の者はあいにく留守だが、まぁ上がって行きなさい。」と言
って自らお茶を入れ、「若いってのはいいなぁ。長田君。」と、かつての有馬
村と海老名村が合併したときの様子を、古い写真や資料を並べながら語って下
さったものです。
御所見村(現在の藤沢市北部)や寒川などとの合併を模索する有馬村の中にあ
って「海老名の方が下駄の底が減らない。」との名言のもとに現在の海老名市
の原型を作られた人であるのです。
井戸の水を飲む者はその井戸を掘った人に感謝せよ、と言いますが時は移っ
て平成の大合併が巷で盛んな今。私たちが成長著しい海老名の市民としてその
繁栄を享受できるのは、こうした先達の皆様の努力があってのことであり、そ
のことに感謝し、先人の遺徳を偲びたいと思います。
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