04.05.28 大衆ほど賢い者はなし
 市井の声に耳を傾けていると「やはり大衆ほど賢い者はない。」と感じます。
小泉総理の訪朝と5人の拉致被害者家族の帰国についてマスコミの多くはそれを
「失敗」「パフォーマンス」「収穫なし」と否定的に報じていますが、翌日の
世論調査では訪朝を良とする意見が過半数を超えました。井戸端の声や居酒屋
論議でも「なんでもかでも批判したんじゃダメだよぉ。」なんていった意見が
周囲の首を縦に振らせていることが多いようです。

 イラク問題、北朝鮮拉致問題などを契機に国民はマスコミ報道に踊らされな
くなってきているのでは?そんな気さえします。昨今マスコミの最大の失敗は、
拉致家族や拉致被害者をスケープゴート(身代わり)に仕立てて、自ら言いた
いことを被害者に語らせて記事を売ろうとしたことではないでしょうか?
 昨日は被害者に語らせておいて翌日にはそれを批判する、そんなマスコミの
浅ましさに国民は自らを被害者に置き換えて一連の報道のあり方を敏感に感じ
とっているのでは?
 
 今日、またしてもイラクで邦人ジャーナリスト二名が殺害されてしまいまし
た。今度も一斉に政府批判が噴出すかと思いきや、被害者の家族が「ジャーナ
リストとして覚悟できていた。」といった趣旨のことを語ったので、マスコミ
も記事の売りようが無くて困ってしまうのでは?被害者家族にしたって胸のう
ちはともかくも“自己責任”を突きつけられて二重の被害にあった先日の邦人
拉致事件の教訓は生きていることでしょう。

 しかしだからといって小泉さんもいい気になってはいけない。勤務実態の無
い会社での厚生年金加入問題についての開き直った態度というか、事態の問題
点すら把握しようとしない態度には国民として失望を禁じえません。
 知人の社会保険労務士の判断では勤務していない会社で名目だけ厚生年金に
加入することは許されないし、詐欺的な行為にあたるのではないか?とのこと。
 実は国保未加入よりそのことの方が問題が大きいのではないでしょうか?


 04.05.27 後藤隆氏逝く
 5月20日市議会議員の先輩、後藤隆氏が逝去されました。享年73歳。肺がんの
発病から一年足らずの死でありました。

 私はこんなとき実感するのですが、「負けた選挙を応援してくれた人ほどあ
りがたい存在は無い。」と。

 最近葬儀などで涙腺が緩むようになった私です。以前は自分のことを内心で
「ドライで、泣けない性格だなぁ。」と感じていたものですが。
 人が死んで、それは悲しいことですが、その気持ちに自らの経験や思い出が
重なりあって涙というものはこみ上げるものなんだなぁ。

 体育協会の会合で内野市長に会ったとき「進ちゃん、後藤さんの見舞いに行
って来いよ、会いたがっていたぞ、進ちゃんに話があるって。」と言われたの
が死の一週間前。翌日訪ねた病室に故人の姿は無く帰宅中とのこと。その翌日
も会えずじまいで結局末期の水をとることとなってしまいました。

 後藤先生は、私に何を、言い遺そうとしていたのだろうか

 04.05.26 裏事情
 久しぶりに永田町を訪ね、昔なじみの秘書諸兄とお茶を飲んできたのだが、
色々と永田町の裏事情を聞けて、それはそれなりに楽しいひとときでした。
 聞けば福田前官房長官が官房長官を辞めた理由ですが、年金未納は表向き
の動機で実は小泉総理が福田さんの頭を飛び越えて山崎拓氏や平沢勝栄氏ら
と北朝鮮外交を進めていること、や飯島秘書に対する反発が主な理由とか。

 他にも色々聞きましたが、とっても書けません。マジで。
 04.05.25 開高健記念館
 あることについて、自分なりの答えを見つけるために、茅ヶ崎の開高健記念
館を訪ねてみた。



 開高健・ベトナム戦争に従軍してそのドキュメントを描いた小説「輝ける闇」
が代表作。私も学生時代にこの小説を読み、将来ジャーナリストになりたい。
と思ったもの。

 先日イラクで捕虜となった日本人たちについて、自己責任という言葉で色々
と責め立てられて、高遠さんなんていう女性は痛々しいほどだが、私はどうし
ても彼らを責める気になれない。俺も若かったら戦地に行きたいと思ったろう
から。

 うん、やっぱり若かりし開高の姿を見てもそれはとっても戦士という風体で
なく、ドラエモンが戦闘服を着てカメラと万年筆を握っているという感じであ
った。決して蛮勇が彼を戦地に誘ったわけではないと思える。

 俺も若かったらイラクへ行ったろうなぁ。いや行きたかったなぁ。
                          それが今日の答え。
 危険もいっぱいあるだろうけれど、そこにはきっと日本にはない“生”があ
るはず。生きる、ということにリアリティーを持てる実感があるはず。開高を
読んだあの頃だったらきっとそんな風に考えただろうな。

 04.05.23 雨の強行軍・丹沢自然環境調査、本隊派遣
 私たちの体の60%を占める水分。
 海老名に住む人ならば、その水分の大部分は丹沢の山をめぐって私たちの体
 内にやどります。

 というわけで丹沢の自然保護運動を展開して参りたい私たちは前回の予備調
査に続き、本日本隊となる「丹沢自然環境調査隊」(5名)を現地に派遣しまし
た。そして前回ご紹介した問題のほかにも様々な実態を確認してまいりました
のでここにご報告申し上げます。



 いやはや海老名では雨は降らなかったようですが、丹沢の上では深い霧と雨
が私たちを包み、行動は困難を極めました。(丹沢山山頂にて)



 しかしその分、堂平のブナは幽玄な姿で我々を向かえてくれました。神秘の
雨音は、今私たちに何を語りかけようとしているのでしょう?(堂平)



 丹沢の環境問題、その1・土砂の流出
 鹿などによって草木は食べつくされ、むき出しになった土砂は雨に流され木々
の根は丸裸となって無残な姿をさらしています。(天王寺尾根付近)




丹沢の環境問題、その2・ブナの立ち枯れ

 大気汚染ー酸性雨?温暖ー乾燥?菌の繁殖?寿命?原因は明らかにならない
まま植物の植生の頂点に立つブナの立ち枯れは進んでいます。(堂平)




 やがて朽ち果て、行く手に横たわるブナの群れ。


丹沢の環境問題、その3・踏み荒らし
 登山者などによる踏み荒らしで山の峰は深く傷つき、その窪みがやがて水を
流し水はさらに地をえぐり・・・写真の薄茶色に見える部分はかつての登山道
を修復するために荒い麻布を敷いて植物を養生している現場。しかし左側の新
しい登山道はすでにえぐれ始めています。




丹沢の環境問題、その4・ゴミ投棄
 写真が小さく見えにくいのでよく目を凝らしてみて欲しいのですが、土の中
からガラスビンや空缶など様々なものがむき出しています。砂防ダムの建設現
場付近や山荘の付近ではビンや缶などのゴミが山肌に食い込んで、その様子は
慙愧に耐えません。以前は見えないように埋めたものと思われますが、月日は
土砂を洗い、やがてかつての蛮行が消えない爪あととなって姿を現すのです。
 建設現場付近ならそれを投棄した業者は分かっているはず。責任を追及し片
付けさせるべきと思います。



    
丹沢の環境問題、その5・鹿の食圧
 丹沢のあちこちで見られる実験現場。写真に見られるのは、仮に鹿に食べら
れなかったら下草類はどのくらい生えてくるのか?という実験を県が行ってい
るものです。写真の左側は鹿に食べられないように防護網で守られており青々
と下草(笹など)が生い茂り、そうでない外側(右側)は鹿(など)に食われ
てしまうためほとんど草が生えていません。
 何度も繰り返しますがその結果が土砂の流出と山の崩落となるのです。鹿の
食圧によって衰退した植物で代表的なのがスズタケで他にクガイソウ・オオモ
ミジガサ・レンゲショウマなどです。



    
丹沢の環境問題、その6・バイケイソウの繁茂
 元来丹沢の山ではあまり見られなかったこの大柄な草は鹿が食べないもので
あるため難を逃れ繁茂し、今や一面に広がり丹沢山系でも最も頻繁に見受けら
れる植物の一つとなっています。




丹沢の環境問題、その7・お金を出してわざわざ外来の植物を植える行政
 ウーピングラブグラス、やシナダレスズメガヤと言う外来の植物が崖の土留
めとして植えられています。コンクリートで固めるよりまし?なのかも知れま
せんが、その植物を移植することで将来にわたって日本の植生にどのような影
響があるのか?県当局は確証をもってこのようなことをしているのでしょうか?
 現にシナダレスズメガヤが下流域の河原に繁茂し始めているという報告もあ
ります。




丹沢の環境問題、その8・間伐
 かつて植林された杉やヒノキなどの木々は放置され、過密なまま鉛筆のよう
に細いまま育ち、花粉を撒き散らし、地表は光がさえぎられ山肌に植物は育ち
ません。やがて台風でもくれば軟弱な木は根ごとなぎ倒され・・・・
 密植の森は前回ご紹介しましたが、今回は間伐が行われて大きく育ち光がさ
しこむヒノキの森をご紹介します。




丹沢の環境問題、その9・ヒルの大量発生
 近年丹沢山系にヒトの血を吸うヤマビルが大量に発生しています。小さなミ
ミズのような外見のヒルは今日も私たちの足元を這い上がってきたり、樹木の
上から首筋に落ちてきたり・・・・・あいにく小さくて写真には収められませ
んでしたが、出合った釣り人が血だらけの足からヒルをむしりとっている光景
を目の当たりにしました。
 「自然を破壊する人間はここに入ってくるな。」と自然が我々に警告を発し
ているのではなかろうか?

 その他、川では移入魚類による生態系のかく乱、水質の汚濁によるカジカガ
エルの減少、30頭前後生息しているツキノワグマが高速道路建設によって行動
範囲を遮断されて孤立化していること、などなど詳しいことは下記のホームペ
ージをご覧頂いても大まかなことを知ることができます。
 

http://www.pref.kanagawa.jp/osirase/05/1644/genzyou/genzyou-kadai-1.htm
     
 04.05.17 こんな形で幕にしたら?
 年金改革法案についてはしっかりと議論してもらわなければなりません。こ
の上参議院へ行っても野党が未納問題だけに議論を終始させるようなら本当に
話にならないと思います。

 国会議員諸氏による年金未納問題には困った問題ですが、国民は案外冷めて
いて、「仕方ないでしょ。」といった程度の反応なのでは?それなのに永田町
だけが勝手これを政争の具にして主導権争いの足の引っ張り合いのネタにして
いる。そしてマスコミの貪欲さにもたまげるが、問題を大きく長引かせるため
に筑紫某とか小宮某なんていうニューキャスターまでもが「私も未納でした。」
なんて!だれもそんなこと聞いてないっての!久米ヒロシだったら黙って頭を
丸めてるだろうに。

 私の提案です。
 今回の未納問題は
@国民年金が強制加入制度になる以前の未納。
 という責任の問えない問題と、
A大臣就任時や転職での手続きの遅れ。
 といった単純なミス。
B何十年もの間未納。
 という、国会議員として国民年金に対する見識を質さねばならないケース。

 同じ未納問題でも個々によって過ちの度合いに濃淡があるようです。そこで
私の提案ですが、ここは一旦事態を収束させるためにも実態を調査するために
第三者機関を設置してはどうか。
 この問題を第三者の目で精査してもらい、個々のケースごとに評価を下して
もらう。その上で各政党ごとに処分なり釈明なりをする。法的に責任を問えな
いことだし、各政党共に共通した問題なのだから協調しあって早急に対処して
欲しい。

 あくまでも大切なのは、世界でも稀な国民皆年金、皆保険という社会保障制
度を持つこの国のすばらしい体制を維持するためにどうしたら良いのか?どう
したら持続可能な制度にできるのか?国民にどこまで負担してもらうのか?と
いうことをしっかりと決めて国民の前に提示すること。だと思うのです。
 04.05.16 政・精分離
 瑞穂の国
 言霊の幸う(さきわう)国
 やおよろずの神の国
 
 いにしえより私たちの国を表現する言葉は多々ありますが、多くはその精神
性の崇高さや、自然に対して畏怖の念を抱いた国民性を表現するようなものが
目立ちます。

 一方、昨今の小泉政治をしても「いまだ目指すべき国家像が見えない。」と
いう厳しい指摘があり、それは私も同感を持っています。

 さて、ではその“目指す国家像”というものはいかなるものか?ということ
について考えたとき、指摘する我々自身も実はよく分かっていない。というの
が実態ではないでしょうか。つまりその目指すものとは経済発展とか地方分権
といった“行政制度のあり方”を期待したものなのか?それとも冒頭に例示し
たような“精神的な意味での目標”なのか?

 戦後の急成長を遂げた時代のわが国ではその点においては明確で、「所得倍
増」「ニッポン列島改造」「三種の神器(テレビ・洗濯機・冷蔵庫」などなど
の言葉のとおり、物質的な豊かさを追い求めることが明らかに“目指す国家像”
であり“目指す自分”であったと思います。

 されば今のわが国は?これからのわが国は?と考えたとき私は前述の精神的
な意味合いでの目標をしっかりと掲げることが今のこの国にとって必要なとこ
ではないか?と思うのです。

 昨今の青少年犯罪や性の氾濫、家庭の崩壊、つまらぬ悪戯で晩年を汚す高齢
者、職責を忘れた公務員、年金を納めな政治家、言えばキリがありませんがそ
ういった現状の中で私たち日本国民はこういった国家を目指して行きましょう。
というイメージを「示す事」と「示す人」が必要だと思うのです。そして願わ
くばその目標は、人や自然を愛する精神性の高い目標であって欲しい。

 さてではその目標を掲げ国民にアピールする役割をだれが担うべきか?とな
ると、とかくその言動をワンフレーズポリティクスと言われる小泉首相あたり
は適任のようにも思えますが、私はその役割は政治の仕事では無いと考えてい
ます。政治というものはその体制が移り変わるものであるし、時の政権を支持
しない国民も相当数いるのが常、そして政治といものの実態は政略と争いに満
ちた欺瞞(ぎまん)の世界であり、そういう不安定なものが国民の精神的な目
標を掲げたところで意味は無いし、担うべき仕事ではありません。むしろ日本
の場合、強いて言うならそれは天皇陛下の仕事ではないか?と私は思うのです。
 
 今日のタイトルに掲げた政・精分離とは政治と精神的な指針というものを分
けて考えるという程の意味であり、例はあまり良くありませんが、イラク戦争
などでも見られるように政治的な指導者と精神的な指導者(この国では宗教的
な指導者が該当する)がその役割を分けているように思うのです。

 先日皇太子殿下がマスコミのインタビューで雅子さまの事に関連して“生の
お言葉”を発せられました。側近の人たちは「どういうことだ?」とマスコミ
に攻め立てられているようですが、皇太子殿下が私たち国民に生きた言葉で本
心を語られたことには新鮮な驚きと喜びを感じている国民も多いはず。「全力
であなたをお守りします。」といって雅子さまにプロポーズされた皇太子殿下
の「言葉に違わない言動」に感動した女性もまた多いはず。他人を前に自分の
妻を守るために毅然と何かを言える男なんてこの国ではなかなかいませんから。

 まぁ、そういうことはともかくも天皇陛下がまさに人間天皇として私たちと
気脈の通じる対話の中で、我々国民がこれから歩むべき道を示してくれたら、
まさにそれは言霊として私たちの日々をよりよいものとして導いてくれるので
はないか?

 政治家を目指す私が、そんなことを思うのです。
 04.05.14 我が家で怪奇現象 |)゜0゜(|
 その知らせは早朝の我が家にもたらされました。
ドンドンドンドン!  ドンドン!
「進ちゃん いったい何始めたの? ちょっと不気味すぎるよぉありゃぁ。」
 と、玄関先で言う近所の人。私は庭に出て我が目を疑いました。なんだ!?
このイタズラは?



 庭のヒメシャラの木にビニールテープがグルグルと巻きつけられているでは
ないか!もしや (?_?; 最近日記でマスコミや政党のことをボロクソに言って
る事に対する報復か?????そう言えば最近○○新聞の記者から連絡が途絶え
たし・・・・
 いや待てよ、あれはもしや私が昨日畑で使ったスズランテープではないか?
ひょっとして・・・・・



 そう、テラスに置いてあったスズランテープが昨夜の突風に煽られて解け、
うまい具合にすき間から逃げ出し、ヒョロヒョロと伸びて庭木に絡みついたわ
けです。
 最近の選挙じゃありませんが“風のイタズラ”ってやつです。と言うよりこ
の下らないネタを最後まで読んで頂いたあなた様に、感謝! m(__)m
 04.05.13 相手の土俵に塩
 バレーボールの女子ニッポン代表がオリムピック出場に大手をかける様子を
テレビで観戦しております。とても喜ばしくエキサイティングなことですが、
一方でとても違和感というか浅ましさを感じてしまいます。それは私たち日本
人の応援する態度。
 「ニッポンチャチャチャ」はいいけれど相手の選手に対するエールらしき声
援は皆無。どういう事情で日本が最終予選の会場になっているのか知りません
がこれでは「開催国有利」という理不尽な現実をまざまざと見せつけれられる
ようです。
 ジャンクスポーツというテレビ番組でトップアスリートたちがスポーツ界の
裏舞台を赤裸々に語って見せる様子を見ますが、やはり諸外国へアウェイ(遠
征)に行った時は審判の不公平なジャッジも含めて激しいえこひいきに出合う
事はザラにあるとか。
 そういえば昨日のプエルトリコ戦なども線審の微妙なジャッジやブロックで
のワンタッチなどの判定でプエルトリコの選手が審判に抗議する場面が多く見
られました。抗議の回数が日本側の数に比べて格段に多いのは???と正直に
言って疑問が残りました。

 子どものころボクシングなどの試合で日本人がアメリカで戦ったとき、アメ
リカの観客が日本の選手にも惜しみない拍手や声援を送る様子を見てこの国の
偉大さを感じました。

 瑞穂の国日本では謙譲の美徳を愛し、国技相撲の取り組みで力士はお互いに
相手の土俵に塩をまき、「怪我をしないように」と清めます。勝っても決して
驕り高ぶった様子を相手に見せません。
 プロ野球のイチローもヒットを打った塁上でガッツポーズをとったりしない
のは「打たれた相手の気持ちを思うから。」と語っていました。

親善と友好のために行うスポーツなのですから応援する私たちも少し考えた
方が良いのでは?
 04.05.12 渦中の人、火中の栗拾う?
 小沢一郎氏が民主党の代表を受けるようだが、小沢さんも寄る年波には勝て
ずに焦っているということか、どう見ても今の状況で代表を受けるのは多難な
ことばかり多いように思うが。

 マスコミの思う壺というか、党内にも党外にも政敵の多い人だけにマスコミ
が攻撃するネタは尽きないだろうし、そのたびに記事が売れて・・・・7月の参
院選で惨敗すれば今度は小沢党首引責辞任の大合唱なんてシナリオが頭に浮か
んでしまうのだが。

 小沢さんという人、傑出した政治家だと思います。しかし元来野党に身を置く
ことの似合わない人だと思います。    ただそれだけですが。
 04.05.10 打算
 中国の古事・かつて末期の清国を女帝として支配した西太后は少しでも気に
障る出来事があれば宦官を棒打ちの目にあわせたという。食事がまずいと言っ
ては調理人たちを20回、部屋が汚れていると言っては世話役を30回。百叩きは
死を意味したという。
 しかし一方で慈悲深い一面も持った西太后に対しいつしか事件の度に自ら棒
打ちの刑を願って出る宦官が出始めた。「他をかばって自ら犠牲になろうとす
る姿勢はすばらしい。」と、当初は西太后を感心させたが、たちまちそれは西
太后の感心を引こうとする宦官の計算づくの行動であることがばれてしまう。

 これが「打算」という言葉の語源だそうだ。
         
 民主党の不甲斐なさにも困ったものだが、自民党の福田官房長官辞任劇に見
られる行動には「打算」的な思惑も感じる。
 04.05.09 三党合意
 自分が仕掛けた罠に自分ではまって勝手にコケた民主党が自民、公明に擦り
寄って三党合意とは・・・・
 いささか情けなくて
 04.05.08 アンチテーゼ
 テーゼ(主体となる提案)があって“アンチ”テーゼが生まれる。およそ社
会を構成する個々人の政治に対するスタンスのおき場は各々のキャラクター(性
格)によって決まることが多いようである。

    −−−−以下あくまでも私の偏見である。−−−−

 つまりそれが自治会活動であれ、小学校のクラスであれ、国家の政治であれ、
集団の決まりごとを決めその方向に向かってリードして行こうとする主体的な
行動をとろうとするキャラクターの人と、それに対して批判したり客観的に論
評したりするスタンスをとる二種類の人がいて、それはどちらも集団にとって
必要な存在なので、どちらが良いとか悪いというようなことでは無いのだが、
個々の人がどちらのスタンスをとるかは集団の性格によって変化はあるものの
多くの場合その人のキャラクターによって決まり、主体になろうとする人はど
この集団の中にあっても主体的な行動をとろうとするし、批判する人はたいが
いにおいてどこへ行ってもその立場をとる。あくまでも私の偏見かもしれない
が私にはそんな気がしてならない。もっとも一番多いのはその中間に立つノン
ポリと言われる人たちなのだが・・・・・毛沢東流に言えばそれらが2-6-2の割
合で社会を構成しているという。

 わが国の場合、昨今のような硬直化した政治状況の中では主体側に立つ人た
ちが大衆の関心を引き付けるような成果をあげられず、それに対して批判する
側の力が強まっている。そしてその均衡が崩れてくると中間の6割の人が批判の
側になびくので気がついた時には社会の割合が2対8という構成になってしまう
ことがある。それはとても危険な状態なのだが最近の年金改革議論と国会議員
の年金未納問題などを見ていると2対8の現象もあながち空想では無い。そんな
気がしてしまうのだ。 

 それともう一つ、アンチテーゼの威を借りて為政者が誕生することがある。
自民党をぶっ潰すと言って総理大臣になった小泉さんがそうであるし、身近な
ところにもそういう政治情勢は散見される。しかし何かを批判して為政者とな
った者も為政者となった瞬間に180度立場を変えて社会を主体的に動かすテーゼ
となる。批判した通りの大胆な改革を成し遂げたとき社会は大きく変貌するし
その為政者は後世に名を残す英雄となりうるが、それが出来なかったとき為政
者を押し上げたパワーは再びアンチテーゼとしてその者を否定する。

 されば、長田進治というキャラクターをはたしてどの位置にスタンスさせる
べきか?私自身まだまだブレがあるし、皆さんのご意見も頂きたいところだが、
少なくとも私の望みは、選挙に勝ちたいがためにその位置を器用に変えてゆく
ような政治はしたくない。と思うのだ。
 04.05.06 肉を切らせて
 肉を切らせて骨を断つ  突然の福田官房長官辞任劇は民主党、菅代表の首
を狙ったもの。ということか?
 私たちの年金問題は中身の議論をかけ離れ、国会議員の年金未納問題という
スキャンダルにすり替えられ、マスコミの飯のタネと、政争の具にされてしま
ったようだ。

 おかげで市町村の年金窓口の職員が市民からきつい言葉を投げかけられてい
るという。かわいそうな話である。
 まことに嘆かわしい、唾を吐きかけたくなるような政治の醜態ではなかろう
か?

 もしかして、国家なんてものはこんなパカパカしいことから崩壊の道筋をた
どったりするものなのではないか?

 04.05.03 我が改憲論
 護憲・改憲、両者の硬直化して発展しない議論にこそこの国の病理を感じず
にいられないのです。この国はいまだに58年前の敗戦という体験に悪しき意味
でのストレス障害を患っているのではないでしょうか?
 イラクへの自衛隊派遣という既成事実を契機に国内の改憲論は高まりをみせ
ていますが、それはもの言わぬ大衆(サイレントマジョリティー)の心底に眠
っていたナショナリズムを刺激した結果のように見えます。
 一方護憲派の論調に代わり映えは無く支持の広がりもありません。というよ
りもその姿はすでにセピア色した過去の遺物にしか見えません。
 その両者のアンバランスが現在の改憲ムードを作り上げているように思える
のですが、いかがでしょうか。

 果たして自衛権の正当化だけが改憲の目的でよいのだろうか?
 戦力の不保持だけを旗印に護憲を訴えていてよいのだろうか?

 話は変わりますが、先日小中学校の30人学級実現を訴える人に聞いてみたこ
とがあります。「30人学級と言いますが、莫大な費用がかかることから行政は
ノーと言っています。では35人学級だったらだめなんですか?39人学級だって
一歩前進じゃないですか。」と言ったら相手はポカーンとしました。その人の
中ではあくまでも“30人”という数字が硬直化してしまっているように見えま
した。
 40人学級か30人学級か?イエスかノーか?オールオアナッシングの議論には
前向きな発展は望めません。

 さて表題の「我が改憲」ですが、日本国憲法が成文法である限り時代の潮流
に合わせて変化する“生きた”法律でなければならない、ということが私の大
前提です。

 例えば、新しい憲法の中では平和主義と同じくらいの扱いで環境主義を掲げ
るべきであると考えます。環境の保全は経済原理に勝るべき課題であり第四の
国民の義務として明確化しても良いのではないかと考えます。
 次に現代の時代潮流からすれば第一権力と化しつつあるマスコミュニケーシ
ョンに対する国民としてのとらまえ方も難しい課題ではありますが議論される
べきでしょう。報道の自由とか知る権利が個人のプライバシーを踏みにじるよ
うな時代をつくってはいけません。
 IT化が進む中で個人情報の捉え方などは一般法の域を超えたテーマとなり
つつあり、それを保護する精神は憲法に値するテーマではないかとも思うので
す。

 その他、裁判員制度を始めとする司法の問題、すでに曲がり角に来ている義
務教育や公教育のあり方、地方分権や地域主権の確立などなど時代に合わせて
改憲したり加憲したり、あるいはどのような時代にも守り通さなければならな
い護憲の部分もあることでしょう。
 硬直化を排した柔軟で発展的な議論の高まりを期待したいもの。憲法記念日
に当たりそんなことを私は思うのです。

 04.05.02 民際外交
 藤沢市と境を接する海老名市。海老名、座間、綾瀬市民のゴミを焼却する施
設が海老名市側にあり、永いこと藤沢市民に公害の不安と実害を与えてきたの
ですが、今般道路一本隔てた藤沢市側には「家畜の糞尿」を処理する施設が藤
沢市により建設されようとしています。

「二頭の水牛が角をぶつけ合ったとき、一匹の蚊がつぶされた。」と言ったの
は米ソの代理戦争となったベトナム戦争を小説にした開高健ですが、この地の
場合「迷惑施設はまちの隅へ」という両市のエゴイスティックな感覚が双方か
ら発せられ、この地で4mの道路を隔ててスパークしているといったところで
しょうか。間に挟まれて苦しむのはいつも力無き市民なのだが。

 糞尿処理施設の建設については藤沢市民の中には看板を立てて反対する人も
あれば、容認する人、推進しようとする人、条件付き賛成の人など意見が分か
れているようです。海老名市側の住民は当然おおかたが反対の意見。

 こんなとき、私のような者でも「少なくとも両市の住民間に感情的なシコリ
を残すようなことにならないように」と、危惧をするものです。
 実は今日その藤沢の宮原という地域で住民主催の「レンゲ祭」が開催されま
した。糞尿処理施設の建設地に近い田んぼが会場です。私はこんな機会に少し
でもお互いの住民どうし交流と理解が進めば、との思いから部外者ではありま
すがビールを1ダースほどぶら下げてまつりに参加するのです。


    
 写真左の人は藤沢の山本市長。こちらの気持ちが分かっているのか否か?む
しろ「海老名からうるさいヤツが来たなぁ。」というようにでも思ったか?写
真の表情とは違って終始私に話しかけてくれることはありませんでした。
 為政者に我々民草の思いは通じているのだろうか?

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