04.11.29 魅力ある男
 今夜は政治家を経験された大長老の方と酒席をともにさせて頂き、言われま
した。
「男の魅力なんていうのはね、失敗や挫折をいかに重ねて来たかで決まるんだ
よ長田君。昔はね“男は大病一回、離婚が一回、投獄一回”って言ったもんだ。
それくらい経験してやっと一人前だよ。」
 最近では投獄を倒産に置き換えたりするそうです。

 私は、
 大病?・・・まだです。(成人病の気ありだが)
 離婚・・・・できないだろうなぁ。(とてもとても)
 投獄倒産・・落選ならとりあえず一回!   威張ってどうする!? f^^;)

 04.11.28 居城
 次回の選挙までの間、わが身を収容し、わが心を修養すべき城が完成しつつ
あります。
 

 
 高齢者施設(デイサービスセンター・グループホーム あつぎみなみ)。家
主であるオーナーさんのこだわりもあり、総石張りのとても立派な建物です。
私ははあくまでも「雇われマダム」ですが、ここで次回の選挙までの間お年寄
りのお世話をさせて頂きます。

 今日厚木市、伊勢原市一帯にスタッフの求人広告をうちました。「新規開業
につきオープニングスタッフ募集!!」の広告効果は大きく朝から応募の電話
が鳴っています。

 緊張しています。
 04.11.27 母校拓大
 神奈川県内に2万人いる母校の卒業生が一堂に会して行なう学友の集いを横浜
で行ないました。(集まったのは60人ですが (^ヘ^) )二年ぶりに出場する
箱根駅伝に向けて県内OBの結束を確認しあいました。
 04.11.26 第9回ほっとステーションえびな
 まるで初春のような温かい風が吹き荒れる今夜の「ほっとステーションえび
な」は12名の参加によって行なわれ、とょっとした事件はあったものの今週も
市民の皆さんの「ごくろうさん。」という声にささえられて実施することがで
きました。

 事件というのは私を含む3名の隊員がJR相模線の海老名駅舎付近をパトロー
ルした際、エレベーターから警報音が発せられていることに気付いたもの。
 発見時刻は午後9時55分で、エレベーターはすでに25分前に作動時間を終え、
停止していて内部は真っ暗な状態。同行の隊員が外部のインターホンをとって
内部との連絡を試みたものの応答は無し。私がこのエレベーターを管理する駅
前地下駐車場に電話通報したところ午後10時の定期見回りの方がやってきて、
「おそらくいたずらでしょう。」

 係員いわく9時半の停止まぎわにエレベーター内の警報装置を押して逃げる
いたずらが多いとか・・・・・・でもそうだとしたら我々が気付くまで25分も
の間警報音が鳴りっぱなしになってたということ?その間何千人もの人が前を
通過しながらだれ一人反応しなかった、というのが事実ということか。
 更にこの警報はどこかの警備室等に連絡されるものではなく、エレベーター
内で非常ボタンを押したら外側の警報器が「ブー!」と鳴るだけのシステムで
あるとのこと。これじゃ万が一内部で何かが起きてもダレも気付かない(ふり
をした)まま次の定期パトロールまで時間が過ぎる(可能性もある)というこ
とか?
 04.11.25 新潟雑記・同情するなら仕事を
 先日行った被災地でのこと。激震ゾーンの田麦山地区ではベニヤ板に赤いマ
ジックで書きつけられた一枚の看板を見つけました。
 それはタイルを張ったり、壁を塗ったりする左官屋さんの玄関口。
 震災に耐えた壁のタイルの上からベニヤ板を立てかけて

「震度7にも耐えるタイル! 同情するなら仕事をくれ。お願いします。」

 被災者の人の気持ちを察すれば、ボランティアの私としてはとても複雑な気
持ちになります。

 例年ならすでに雪の降っている豪雪地帯。真冬には1mから2mにも達する積
雪に、あの傾いた家々が耐えられるとは思えません。
 プレハブの仮設住宅で暮らす夜。バリバリバリ  今日も一軒今夜も一軒、
大切な家が雪に押し潰されて行く。そのたびに被災者の皆さんの心も同じよう
に押し潰されるのでしょう。そんな光景が胸に浮かびました。
 04.11.23 知事と市長を囲む市民の集い
 今日、海老名市文化会館大ホールでは松沢知事と内野市長をパネラーにして
「海老名の未来を語る市民の集い」が行なわれました。



 ディスカッションの終盤に市民の声として「県庁を海老名に呼びたい」とい
うテーマが取り上げられ、私もこれは選挙のときに掲げたテーマでしたので聞
き耳を立てて聞きました。しかし、回答した松沢さんは「今は国と地方の枠組
みを考え直さなきゃいけない時、自分のまちに県庁ができて、県庁所在地にな
たっぞ!って言って威張りたい。という程度の意見ではダメだ。」とバッサリ
切り捨ててしまったのには私も苦笑でした。

 松沢さん、それは確かにその通りですね。でもわが国の首相もよく使う手法
ですが、“ワンフレーズポリティクス”というやつなんじゃないかな?こうい
ったテーマは。一番分かりやすくて具体的な目標を短い言葉でポン。もちろん
その裏は綿密な思想や計算がある。
 国と地方の関係も見直さなけりゃいけないけど“地方と地方の関係”もまた
しかり。一つの県の中に県と同等の行政権限を持った政令市が二つもあって総
人口の半分を占めるなんていうイビツな行政体は全国でも神奈川だけなのだか
ら。

 04.11.19〜21 被災地へ
 思いがかなって中越地震の被災地へ災害ボランティア活動に行って参りまし
た。横浜災害ボランティアネットワークという団体が一般公募で参加者を募り
大型バスをチャーターして被災地へ向かうもので、先週に続いて二回目の活動。
お互いに初対面の人たちが60名、県内全体から横浜に集まり大型バスに乗り込
んで被災地に入りました。ちょっと長い日記になりますがその始終をザッとご
紹介します。



 19日午後7時30分・横浜駅西口、天理ビル前の受付に集まった有志は老若男女
合わせて60名。何ともいえぬ緊張感と高揚感。
 バスは協賛企業からの寄付により提供されたもので我々参加者の費用負担は
ありません。



 午後11時55分宿舎となる湯沢温泉のペンションに到着。オーナーさんの申し
出により我々ボランティアスタッフの宿泊料は二泊と弁当を含む食事付きでな
んと5.000円という安さ。震源地までバスで約一時間の位置にある湯沢だが、震
災による被害はまったくと言ってよいほど無い。



 早朝より被災地川口町のボランティアセンターへ。団体で被災地に入った我
々だがここからは個人の責任で行動することになる。
 大体のシステムはこうなっている。まずボランティアを希望する者はこのセ
ンターに名前や住所、そして車輌の有無などを登録する。そしてその場で待つ
ことしばし。やがてボランティアを必要とする人がセンターにやってくる。例
えば「家屋の片付けに男3人と女2人。」などと被災者からリクエストが入る。
するとハンドマイクを持ったスタッフまたは被災者自信が「家屋の片付けぇ〜
男性3名・・・・・」と数百人のボラ希望者の群れに向かって叫ぶ。ここで気お
くれせずに手を上げた者の中から「はいあなたとあなた。」と選ばれてめでた
くお見合い成立。私たちボラは仕事にありつくことができるシステムになって
いるのです。つまり、ボラ希望者でも仕事にありつけない人も出てくるのだ。

 初日の今日、私は「粗大ゴミの収集作業に30名!」という呼びかけに手を挙
げ、まずはとりあえず、仕事を得ることができました。



 一昨日避難勧告が解かれ、今日から始まった粗大ゴミの収集作業。ストーブ、
ガスコンロ、電化製品、家具など指定された場所に集められているそれらの廃
棄物を他県から派遣されてきている収集車輌に積み込んで、河川敷の集積場所
に運びます。
 この日私が行動を共にしたのは同じ川口という地名からか?援助にやってき
ている埼玉県川口市役所チームの皆さん。



 作業の合間にも崩れた家々が目に入ります。概して新しい家は倒壊を免れ、
古い日本家屋、特に瓦屋根の家の被害が大きいように感じられました。



 はたしてどのくらいの粗大ゴミを収集運搬したでしょう?潰れた家財は激し
い地震の様子を物語っていました。河川敷に集められた廃棄物は分別され、県
外の自治体が代わって処理してくれるようです。



 一日の作業が終わると総てのボランティアスタッフは再びボラセンに集まり
「お疲れミーティング」を行ないます。
 そして我々は宿舎へ。



 宿舎では参加者全体で反省会。様々な意見が出される。もっとこうしよう、
ああしよう、と積極的な参加を求める者あれば「やりすぎ」はかえって被災者
にとって心の負担。と自重を求める声もある。あるまちではボランティアを一
切お断りしているところもあるそうで、私たちボラの参加方法も被災地の土地
柄や災害の種類や大きさなどケースによって柔軟に変化しなければならないと
いうことがよく判りました。
 なお近所の大型ホテルより我々ボラに対して大浴場を無料で解放してくれる
との申し出があり、短い時間でしたがみんな大いに手足を伸ばして一日の疲れ
を癒すことができました。



 翌日、私の仕事は今回の地震でも最も被害の大きかった「田麦山」という地
区で家屋が全壊してしまったお宅の片付け。あの「SOS」と校庭に書かれて
いた映像がヘリコプターから映し出された田麦山小学校のある地区です。とに
かく、どの建物を見てもほとんど倒壊してしまっている。



 これは私がボラに入ったお宅の物置。なんと昨日になって余震も無いのに突
然倒壊してしまったとのこと。



 作業に入る前に先輩ボランティアさんから言われました。「どんなに壊れて
ボロボロになってしまっているものでも、被災者の方の持ち物をゴミなんて呼
んではいけませんよ。どれもみんな大切なものとして扱って下さい。」
 
 階段を登るのさえも気後れのする傾いたお宅ですから、まずは「余震がきた
らすぐに非難。」を全メンバー(7名)で確認し合って作業に入りました。そし
て一つ一つのものをご家族に「これはどうしますか?」とお聞きしながら、保
存するもの、廃棄するものと分けていきます。日本橋から嫁に来たというこの
家の奥さんはテキパキと私たちに指示をして下さいます。でも若い息子さんと
ご主人は捨ててしまう古いステレオや家具などに未練があるようです。
「私たちボランティアが手伝っているからといって無理にあれもこれも処分し
て早く仕事を済ませようと考えなくてもいいのですよ。」と息子さんに言いま
した。



 雪深い山間に生活される人たちですから、私たちボラが皆さんの気持ちの中
で受け入れてもらえるには少し時間がかかります。周囲には倒壊した家屋がた
くさんあり、どれも家族総出で片付けを行なっていますが、実はボラを受け入
れている家庭はいくつもありません。私が入ったこのお宅は都会育ちの奥さん
が「せっかく遠くから来てくれてるんだから。」と私たちを受け入れてくれた
ものの、朴訥(ぼくとつ)な感じのご主人はなかなか私たちに話しかけてはく
れません。

 でもね、それがお昼休みも過ぎたころ。「おい、かあちゃん芋焼いたでみん
なに食べてもらえ。」と。実はガレキを焼く炎の下で朝からサツマイモを焼い
てくれていたのです。そりゃもう感激でしたよ。「みんなぁ頂こうぜ!」って
ね。それからはもう色々と話しました。ご主人と奥さんの結婚の話や親戚が座
間にいること、お米の話、子どもたちのことetc・・・そのうちご主人、崩
れた物置の下からカリンを漬けた焼酎や、朝鮮ニンジンの酒なんかも出してき
て、私たちにふるまってくれたのです。

 被災者の皆さんには悪いのですが、私はこれまで経験したボランティア活動
の中でこれほど感動し、充実したことはありませんでした。

 別れのとき、その奥さんがね、言ったんです。「今度どこかで災害があった
ら私は是非ボランティアに参加したい。」って。そしたらハニカミやの息子さ
んまであっちの方を向いたまま小さくうなずいてくれたんですよ。



 こうして2泊2日の強行軍で行なわれた災害ボランティアは深夜の横浜で解散
となりました。
 まだまだお伝えしてたいことは山ほどあるのですが、この日記ではとてもと
ても伝えきれません。もしお話をさせて頂く機会がありましたら是非直接話を
させて下さい。              
 04.11.17 福祉施設開設に向けて
 超多忙な毎日です。やっぱり想像してはいましたが、いざ施設を一つ立ち上
げるとなると色々と大変なもので、毎日がおおわらわです。今日も県庁へ行っ
て申請書類の事前審査をしたり、スタッフの研修の手配をしたり、営業戦略を
練ったり・・・・・・

 このページを見てスタッフに応募して下さったA.Oさんが今一緒に活動し
てくれており、年明け早々の開業を目指して、二人三脚で突っ走っております。

 そのうえ、明後日からは新潟の被災地にボランティアに入ります。でも、浪
人生活なんて二度としたくありませんね、やっぱり。こんなに充実して忙しい
毎日を目一杯生きているのに、何かこう、つり橋の上を疾走しているような、
不安感。



 施設のパンフレットができました!
 痴呆のお年寄りでグループホームに入居したいという方、デイサービスセン
ターに通いたいという方、是非ご相談下さい。
 04.11.15 皇室の帝王学・紀宮様ご婚約の報に接し
 八王子の山間にある有名な料亭のご主人が話されていた、という話を聞いた
話ですが。

 ある夏の日のこと。学習院大学のサークルの皆さんが山を散策され、ご昼食
にお立ち寄りになるということでご主人は腕によりをかけてご用意をしてお待
ちしていたそうです。

 陽が頭の真上に差し掛かった頃十数名の若者たちがお店においでになったと
か。口々に「暑い暑い」といって客室に駆け込む若者たち。

 すぐさま女将が冷たい麦茶を運ぶころ、一人の女学生がわずかに遅れて来店
されたそうです。そしてその女学生は他のご学友たちが脱ぎ散らかした靴を一
足一足丁寧にそろえてから客室に入られたのだそうです。
 しつけの行き届いた良い子だなぁ、と思いながら皆と打ち解けあった会話を
しているその女学生の様子を見て始めてその人が紀宮様と気付いたそうです。

 店主はその光景を「一人でも多くの人にその話をして差し上げたい、日本人
として皇室を頂いたことの幸せを心から実感した体験でした。」と話されてい
たとか。

 皇室の帝王学のまさに真髄を感じさせられるようなエピソード、ですよね。

 紀宮さまのご婚約(内定)を心より寿ぎ、無事にご成婚へと相整いますこと
をご祈念申し上げます。
 04.11.14 災害弱者のための防災訓練勉強会
 福祉といえば長田と言われてみたい今日この頃
 環境といえば、これも長田と言わせてやりたくもある秋の空
 防災ならば長田に任せろと・・・・・
                       欲張りな私です。
 さて今日は市内の障害者団体の自主的な行動による「災害弱者のための防災
訓練勉強会」がわかば会館において実施されました。行政的には災害弱者と言
う言い方は差別的だということで正式には「災害時要援護者」と言うそうです
が、なぜか障害者の側にはそういう意識はあまり無くて、「差別とかプライバ
シーなんてことより一刻も早く対策を講じて欲しい。」という悲痛な声が次々
と聞かれました。



 今日は消防本部と社会福祉協議会の協力により寝たきりの人やケガをした人
の搬送法を中心に実地的な勉強をさせて頂きました。

・いざというときに逃げ遅れる可能性の高い障害者の安否情報や所在確認をど
 うするか?
・避難所では障害者用トイレなどの設備やケアは整っているのか?
・透析を受けている人にとって病院や機器が機能しなくなったり、そこまで移
 動できなくなったら? それは命の問題に直結するのです。

 などなど、弱者と言ってもお年寄りは高齢福祉課、障害者は障害福祉課、外
国人は市民課、医療については保健相談センターそして防災は消防署など、こ
れまで縦割り行政の弊害に阻まれ、そしてブライバシーを盾にして進まなかっ
た災害弱者対策ですが、ようやくその対策が行政内部でも話し合いのテーブル
にのるようになってきているそうです。

 04.11.13 障害者自立生活フォーラムinかながわ
 私が以前所属していた神奈川県障害者自立生活支援センター(通称キルク)
が主催して「障害者自立生活フォーラムinかながわ」が開催され私も参加し
てまいりました。



 障害当事者の方たちの中には活発に行動する人たちがいるもので、そのパワ
ーはすごいものですよ。私などは圧倒されっぱなしです。でもね、そういう人
たちと知り合いになれて顔を知ってもらって会話できることがうれしくて(^_^)
 04.11.09 空を描かせた先生
 秋のぬけるような青空と銀杏(いちょう)の木を見上げると思い出すことがあ
ります。
 それは私が小学2年生で、今日のように青空が広がった秋の日のこと、クラス
担任の重松先生は「すばらしい秋晴れだなぁ。」と言うと午前の授業を全部図
工に変更して生徒をプレハブ校舎から校庭の隅にある銀杏の木の下に連れ出し
ました。そして「みんなこの銀杏の木を描こう。」と言うのです。更に「まず
画用紙全部を空の色に塗ろう!」と。

 「こんなきれいな青空だからまずはそれから描こう。」生徒は絵の具をブチ
ュ〜と絞って思い思いの色で画用紙全面を染めていきます。生徒の染める“青
と青”一つとして同じ色はありません。

 そして青いキャンパスが乾くまで校庭でサッカー、ドッチボール、鬼ごっこ、
うまのりetc・・・

 やがて乾いた青いキャンバスのうえから銀杏の木が描かれます。伸びやかな
枝ぶりとその隅々まで真っ青な青空が広がっている“空”が主人公の絵が描き
あがったのです。
 
 学校生活の実に何気ない日常の出来事が大人の予想をはるかに超えて子ども
の心に刻まれ、30年も経った今でも私の記憶の片隅を支配しているのですから
教育とは実に責任重大なことです。

 小学2年生になった我が家の次男が学校で“詩”を書いて来ました。「雪」と
いうタイトルの詩です。

  雪
 雪はつめたい
 すごくつめたい
 水よりつめたい
 ふゆよりつめたい
    カチカチとこおる

 私も親バカですねぇ。素晴らしい作品に思えて仕方がないのだから。
 裕也と名づけた次男だが、中也にすれば良かったか!!なんて。

                (注・夭折の天才詩人、中原中也のこと)
 04.11.08 新潟へ
 新潟の震災被災地へ行くボランティアバスが横浜から出ることになりました。
今日、早速参加の申し込みをしました。
 任務はいくつかの内容が用意されていて自分で希望を出せるようになってお
ります。私は「被災家屋の片付け」を第一希望とし、第二希望は「子どもたち
への本の読み聞かせなどレクリエーション」としまた。

 余震の続く被災地ですが、雪の降る前に少しでも。という思いが募ります。
 04.11.06 丹沢ブナ林の健康調査
 今日は“山や”と呼ばれる登山の愛好家たちが丹沢の自然保護を目的に結成
した「丹沢ブナ党」というグループの皆さんの仲間に入れて頂き、鍋割山から
塔ヶ岳に至る稜線のブナ林について、その健康度をチェックするための調査活
動に参加してまいりました。



 調査ではブナ林の中に100m×50mの範囲を設定し、その中のブナの木の状態
を健全、衰弱、枯死、など6段階に分けて選別し、記録を残すもので、私はこの
エリアのうち半分を担当、19本のブナの状態を調べました。19本のうち最もラン
クの高い“健全”に分類されたブナはわずかに3本であり、他はどれも枝先や太
い幹が枯れるなど大なり小なり何らかのダメージを受けており、枯死や枯死寸前
の“衰退”に分類されたものが5本など、危機的な状況が浮き彫りになりました。

「ただ何となく衰弱しているような気がする。」というような観念的なものでは
なく、こうして客観的な数値として記録し、今後を見守ることの意義は大きいと
感じました。そして何より問題なのはこうした成木のブナの病状よりも、その足
元に幼い幼木の姿がまったく見られないということ。
 わが国でも奇跡的に太平洋側に残存している丹沢ブナの原生林もこの成木が枯
れてしまえばその長い歴史に幕をおろすことになってしまうのでしょうか。


 今回も出合ったニホン鹿の群れ。かなり見えにくいと思いますが写真中央に5頭
の鹿がいます。丹沢山系に2500〜4000頭いると推定される彼らの食圧は、ブナを
始め丹沢の植生衰退やそれに連鎖する山の崩壊の原因とされています。
「鹿ばかりが悪いんじゃないよ。」と群れを見つめながらブナ党の方がつぶやき
ました。


 今日の山行はきつかった!午前7時の大倉から山に入って日没の午後5時過ぎま
でほとんど休憩なしで歩き続ける“山や”の皆さんについて行くのはやっとの思
いでした。ただ昼食に立ち寄った鍋割山荘の名物「鍋焼きうどん」の美味いこと!
これはもう筆舌に尽くしがたい。


 いかにも山荘らしい味わいのある佇まいのこの山荘の壁には「約束その2・食べ
残さないこと」と張り紙がされています。残飯は環境汚染ともなるからでしょう。
そしてその鍋焼きはうどんがしっかり煮込んであり、麺と具を食べ終わったとき、
あとに汁が残らないという出来具合になっているのです。
 この鍋割山荘、実は「丹沢天狗」と異名をとった草野さんという、丹沢を愛す
る登山家にとっては伝説的なツワモノのご主人が部材の一つ一つを自分で担ぎ上
げて造ったもの。

 写真はその草野さんが大型のガスボンベ2本を担いで山を登る様子。重さはなん
と109kg!!!

 そしてなんと今日はその憧れの山男、草野さんと一緒にツーショットの写真を
撮らせて頂くことができました!


 この写真は私の宝物です。

 しかし、残念な風景も。大倉から鍋割山に登るルートにある林道は県が管理する
他の林道と違い秦野市が管理するものとなっていることからか、一般車輌の通行禁
止措置がとられておらず、相変わらずの不法投棄が頻発しています。今日見られた
投棄現場はまさに昨夜捨てたか?というほど新しい状態のものでした。


 04.11.05 ほっとステーション
 今回のほっとステーション海老名はこの行動の本来の目的である、「海老名
のまちに帰ってきた人たちが思わず“ほっ”とできるまちにしよう。」という
原点に立ち返って駅前の清掃活動を中心に実施致しました。
 久しぶりに大和のガーディアンエンジェルスのメンバーも応援に駆けつけて
下さり活気ある活動ができました。



 パトロール中は金属バットを持って中央公園内を歩き回る若者の集団なども
おり駅周辺には緊張した空気もありましたが、ガーディアンのメンバーによる
ソフトで巧みな声かけもあり、事件の発生はありませんでした。
 04.11.04 ケリーの態度
 最後まで接戦となった大統領選挙に負けたケリー氏だが、自らブッシュに電
話をいれて敗北を認め、そして二つに割れてしまったアメリカの連携を呼びか
けたというじゃないですか。なんだか青臭い話だけどそれが大事なんじゃない
ですか。私はそう思います。
 04.11.03 39歳になりました。
 文化の日に生まれた私です。

 先日同級生の友人が言いました。
「携帯電話とか分厚いシステム手帳とか、もうせかせかと忙しそうにして絵に
なる世代じゃないよ、俺たち。忙しい、忙しいを連発したりするのは、むしろ
みっともないって。」

 30代も最後の一年ですが、男としてはいよいよ「落ち着き」を手に入れ「あ
ぶらがのって」人生の中では一番良い季節。そうなるべき年代なのでしょう。
そういうオトナの姿に憧れを感じます。

 今の私には到底そんな余裕はありませんが。
 04.11.02 ホントの話かどうかは?判りませんが
 友人が言ってた話で、本当の話かどうか確認したわけではないですよ、言っ
ておきますが。

 先日新潟で土砂に埋まったクルマの中から二歳の子どもが救出された出来事。
あれほど日本中の人々の視線を釘付けにした出来事も珍しいのではないでしょ
うか。助け出された男の子の映像に私は感動で涙腺が緩みました。そしてそれ
に続く母子の悲報には悲しみと落胆を禁じえませんでした。

 そんな救出劇の中の他愛も無い裏話なのですが。あの救出にあたったオレン
ジ色したユニフォームのレスキュー隊に混じって後半から水色の「警視庁」と
いう文字の入ったユニフォームの隊員たちが画面に映るようになったじゃない
ですか、覚えていらっしゃる方も多いと思いますが。で、あのとき水色隊員の
無線機には本部の偉い人(だれだか知りません)から「上に登れ!!!!画面に映れ!
!!(警視庁という)文字の入っていない防寒着は脱げ!!!!!」という指令がバンバ
ン入っていたとか。

 う〜ん、何度も言いますが単なるウワサ話ですよ。これは。もちろんなんで
あれ、あの危険な現場に立つという隊員の勇気は脱帽ものであり、その気持ち
を否定するつもりなど毛頭ありません。ただそんなウワサ話も何となくうなず
けてしまうご時勢であり、「踊る大捜査線」とか「浅間山荘突入せよ!」なんて
映画を見てるとホントにそうなのかもなぁ・・・・なんて。行政というのがそ
ういう動機で動いているとしたら実に怖いことであります。

 単なるウワサ話です。でもそのウワサ話がまことしやかに聞こえるような日
常があったとしたら、それは真実かどうかとは別なところで重大な結果をもた
らすのが人間社会というものでもあるわけで、怖い話でもあるのです。

 なんだか後味の悪い話を書いちゃったなぁ。┌┤´д`├┘

PS・なんとか来週末には新潟行きのボランティアに参加できそうです。

 04.11.01 車いすの星野さん
 頚椎を損傷して車いすに乗っている星野さん、と言えばあの素晴らしい絵を
描く「星野冨弘さん」か、とお思いの方もおいでかと存じますが、私の友人の
星野さんはもっと凡人(失礼!)、平凡な人です。
 まぁお互い肩のこらない間柄ということで、今日も二人でブラブラと(ラブラ
ブではありません)珍道中の旅をしてきました。
 行き先はナイショですが・・・・・


都内某所にて。
この写真を見て場所を当てた人はスゴイなぁ。色々な意味で今話題のスポットで
す。当てる人がいたら賞品出しても良さそうヽ(^。^)ノ
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